ダバオ郊外からディゴスにトラックは進む。荷台には大人に混じって3-4歳と思われる親戚の子達も乗っている。安全かどうか心配だ。でも地元でリラックスしているジャネットとの時間も何もにも変えず嬉しい時間だった。我々二人はディゴス市内のホテルに宿を取っていたのだが、お父さんとお兄さんの居る部落まで行こうと言うことになった。もちろんその後宿まで戻ろうという予定で。
ところで、この様に今の話をする途中で昔の事も思い出して、Blogに書ける機会も貴重かなと思う。既に記憶が薄くなっている当時の事を今書かないと、今後もっと薄まるなあと思う。
さてディゴスまで夜で渋滞も無くてすいすい進み、国道(たぶん)的な大きめの2車線の道を曲がり山道の細めの2車線道路に入る、古めのトラックは大きく揺れるがまだ舗装路だし安定して走る。この時点では私のみこの先どの様な道でどれくらい遠いかは判っていない状態。総勢10人ぐらいのトラックは快調に進むが、だんだん集落から離れて明かりも徐々に減って本気の山道に入る。20~30分進んだろうか段々路面の状況が変わって来た。舗装路が終わってただの泥道になるのだ。泥道と言っても既に乾いているから滑る様な事は無いが、過去にかけて雨が降って泥系の旧坂を大雨が下ったおかげで道路が恐ろしいほど波打って、時速5キロ程で走るトラックが大きく右へ左に揺れながら徐々に進んで行く。車内ではジャネットと私が会話を楽しんでいると、トラックが大きく右に傾いて止まった。トラックの前輪付近にドライバーと荷台の大人が集まって何か相談中。2~3分後事態が動かず私も車外に出てトラックの前輪を覗くと、片方の車軸とタイヤが完璧にトラックから外れてとても復旧する感じでは無いのだ。周りを見ると全く明かりの無い田舎の山道。既にダバオ空港でまな板の鯉で、まだどれくらい先に集落が有るのか判らない私は、どうにでもなれって感じ。多分この時点で9時ごろかな。
トラックの助手席でぼーっと待つこと20~30分、なんと上からオフロード系のバイクが2台現れて二人をバイクで上まで連れて行くってことになって、ありがたくバイクの後部座席に乗ってトラックも車輪が外れるほどのオフロードを上がって行く。上がりながら助かったとおもいつつ、あの荷台の幼い子供達はいったいどうなるのか心配だった。正直今だにどうなったか知らないのだ。
そらからバイクで更にとてもこの先に集落が有ると思えない道を10~20分程度すると真っ暗の田舎道に急にホンワカ明かりのついた家がちらほら見えて来た。
我々は信じられない程の山奥のお家の様なBAHAY KUBOに入って、どこからともなく軽い食事とサンミグを出してもらった。そしてそこに鎮座する巨大なカラオケセットで皆で歌い始めて私の番である。こんな山奥でカラオケってと思ったが、薄暗い電気の下でボン・ジョビを歌った。人里離れた山奥にIt's my lifeのイントロが山に響き渡った。
ちなみに昔の写真を探すが見つからない。うっかり出てきたら更新します。
※写真出て来たので再UP