ことば咀嚼日記

日々読んだ活字を自分の頭でムシャクシャ、時にはゴックン、時には、サクサク咀嚼する日記

1910年と9.11

2010-09-11 | 日記
今朝、運転中、跨線橋の登り切ったところに設置してある温度計が壊れていた。先月見た最高気温は40度だった。
2001年 9.11はこんなに暑かっただろうか。

『それでも日本は「戦争」を選んだ』の著者の加藤陽子先生によると。9.11と1937年日中戦争の発端となった盧溝橋事件には、大きな一致点があるという。
9.11のアメリカでも1937年の日本でも、「これは戦争ではない、国内にいる無法者が何の罪もない善意の市民を皆殺しにした事件であり、したがって、国家権力によって鎮圧されて良い対象であるとみなされる。戦争の相手国を事件の起きた点では、特定せず、市民の安全を脅かす無法者を取り締まる」と、当時の政府と国民が考えていたという点で一致があるという。

盧溝橋事件と並んで、日本がその後の長い戦争に突入していくきっかけとなった、1931年に「起こされた」満州事変は、二年前の1929年から、関東軍参謀の石原莞爾らによって、しっかりと事前に準備された計画だったことはすでに明らかになっている。

盧溝橋事件は、偶発的に起きた事件だが、当時の国民の意識に、その事件は「悪者を罰するものだ」という感情が植えつけられており、それは、9.11以降のアメリカの国民がもった感情と一致すると、著者は書いている。

歴史家とは、その当時に起こった事件の顛末について解き明かすだけでなく、その当時の人々が事件をどのように考えていたか、どのようなものとしてとらえていたか、また考えるように仕組まれていたかを、解き明かす仕事なのだと言うことが、加藤先生の著書から教えられた。

そして、ある事件が起きたとき、また為政者によって起こされた時、そのことの本質をよく考えて発言しなければ、大きな罪を犯すということに気がついた。

これは国と国の間だけではなく、個人と個人の間にも同じことが言えると思う。
誰かと偶発的にトラブルが続いたりした場合、それをどのようにとらえるかは、私たちに任されている。そのことを恨みに思うか、すっぱり忘れるか、それを相手との絆を深めるための道具として与えられたものととるか、これは戦争を選ぶか、平和を選ぶかにつながっていく大きな決断だと思う。

『それでも日本は「戦争」を選んだ』のタイトルは、まったく妥当である。
日本は自ら戦争を選んで滅びたのだ。戦争を選ばない道もあったのだ。


百年前の1910年は、日韓併合、大逆事件、そしてマザーテレサも1910年8月26日に生まれている。
新宮に行った時、大逆事件で処刑された無辜の人々が、やっと100年たって、名誉回復をされていることを知った。昨日は大逆事件で処刑された大石誠之助の葬儀をひきうけた植村正久牧師の説教集を読んでいた。