ことば咀嚼日記

日々読んだ活字を自分の頭でムシャクシャ、時にはゴックン、時には、サクサク咀嚼する日記

「私を離さないで」を観ました

2011-04-23 | 日記
遠隔操作されたロボットの仕事ぶりに驚いています。放射能にも負けず、ちょっとぐらいの瓦礫でも楽々乗り越えて写真を写してこられるんですね。

同じ日に、『私を離さないで』という映画を観ました。英国の田舎らしきところにある清潔で行き届いた寄宿舎の学校で過ごす子供たち。良家の子女が通う特別な学校かと思ったら、別の意味で特別な学校でした。
臓器提供のドナーとなるべきクローンとして育てられている子供たちだったのです。
親の存在は始めから不明で、自分たちの境遇をある新任教師から知らされるまでは、ごくごく普通にフットボールをしたり、模造コインで買い物ごっこをしたり、天真爛漫に遊んでいます。しかし、自分たちが、中年に達する以前に、三回か四回の「手術」をしたら、この世とおわかれしなければならないことを知らされて・・・・・

もちろん、この話はSFですが、観ているうちに、近い将来、人間が暴走を止めない限り、こんな時代が来ても不思議ではないような実感がありました。原発の処理をクローンにさせようと、考え出す人も出てくるでしょう。
 
映画の中では、クローンの少女が自分の「オリジナル」を探そうと、ゴミ箱に捨てられていたポルノ雑誌を丹念に調べていきます。クローンのオリジナルとなる人は、売春婦とか、野垂れ死にした人とか、いわゆるその「社会の屑」といわれている人達です。それでも少女はオリジナルを必死で探そうとしています。それは親を知らない子供が親を探すのと同じようなものなのかもしれません。

最後に、ひとり残された少女が、彼女も近い将来約束された「手術」を前にこう言います。

「クローンと、そうでない人間と、どのような違いがあるの。いづれは皆、死ぬのだから」

クローンを作るのは、何のためか。自分たちの欲望を満たすためなら、必ずそのツケを人は負わなければならないでしょう。
クローンを技術で作り出すことができても、その心までを支配することはできるのでしょうか。人間の役に立たせるため、むりやり臓器提供をさせても、心は支配することはできません。
自由意志を持った人間のクローンなら自由意志があるはずですから。

観終わった後でも、余韻の残る映画でした。