ことば咀嚼日記

日々読んだ活字を自分の頭でムシャクシャ、時にはゴックン、時には、サクサク咀嚼する日記

命二つの中に生たる桜哉      芭蕉

2014-09-25 | 日記
インターネットの学習サイトgaccoの俳句講座の最終レポートが終わりました。今日はレポートをそのまま載せます。
4回のクイズはいつも締め切り1分前に必死で解答し、なんとか全部出せました。レポートは受講生相互採点制です。自分のを出すとほかに5名の受講生のレポートを採点しなければなりません。それも終わり、無事終了。
クイズやレポートは聞き続けるためのカンフルのようなもので、講義そのものの内容がすばらしかったです。内容をダウンロードしてこれからゆっくり聞きなおそうと思います。レポートは、芭蕉の句を一句選び。600字から800字程度で課題ポイントにそって書くというものです。今回の講義で「基底部」とか「干渉部」とか「新しみ」という言葉を知りました。これまで俳句はただ作るだけだったのですが、初めて理論をちゃんと学ぶことができて、個人的には句が作りやすくなりました。私はもともとお勉強が嫌いで、適当に作っていたので、これからはちゃんと勉強します。
だからといって、俳句は決して、頭でばかり作るものではありませんが、人に作り方を教えるときにはやっぱり理論が大切です。
私が、レポートに選んだ句は、芭蕉が「野ざらし紀行」の旅にでるときに、弟子の土芳が追いかけてきて、水口付近で、20年ぶりに再会したときの句です。水口は琵琶湖の近くにある町だそうですが、河野裕子さんの短歌にもでてくるので一度行ってみたいところです。


「命二つの中に生たる桜哉」 芭蕉





水口にて二十年を経て故人に逢ふ

 命二つの中に生たる桜哉        

 この句の基底部「命二つの中に生たる」 からは、古くからの友人と、互いに様々な人生の変遷を経て、こうしてまた花の中で出会えたことの感動が 伝わる。桜の花は、和歌の時代から、春になれば人々が開花を待ち望み、一時の咲き誇る姿を愛で、散り際を惜しみ、心痛めるといった穏やかならぬ儚 いイメージがある。しかし、この句においては、そのようなイメージとは違った、力強いイメージとしての桜が表現されている。芭蕉と友人の「命二つ の中に生たる」という文体にある桜は、会うことのなかった二人の二十年の歳月の中でも、毎年時期がくれば必ず咲くことを約束されている生命力に満 ちた桜である。「生きたる」という言葉が、それを表している。桜のもつ生命力によって、二人の二十年間のそれぞれの来し方にも命の輝きが増す。ま た干渉部「桜哉」は、二人の逢うことのできなかった歳月をも、今、共に桜を見ることによって新たに結びつけられていることを示す部分である。私が この句を選んだのは、「さまざまの事思ひだす桜哉」の芭蕉の別の句があるが、「さまざまの事」とはどんなことなのか、具体的に考えてみたかったか らである。芭蕉は桜の花に、平安時代から受け継がれてきたものとは別の、命を受け継ぐものとしての桜の新しい一面を詠んでいる。この新しみに感動 した。