台所より
2010-08-19 | 日記
17世紀に生きたブラザー・ロレンスの本を読んでいます。『敬虔な生涯 改訂版 ふだんの生活の中におられる神』CLC出版
本といっても、著者によって書かれた物ではなく、ブラザーが言い残した言葉が談話としてわずかに記録されていたり、誰かに宛てた手紙が収録されているだけの小さな書物です。
前書きによると、「ブラザーは、フランスの貧しい家に生まれ、18才で回心、最初は兵士となり、その後、ある家の従僕として働き、50を過ぎたあたりで、彼の生涯に大きな出来事がありました。カルメル会修道会という瞑想を旨とする修道会に入ったのです。そこで与えられた仕事は、一番苦手だった台所仕事」だそうです。
修道院に入る前の召使の仕事でも、不器用だったため、よくものを壊したと書いています。今日、読んだ箇所では、修道院で使用するぶどう酒を手に入れるため、パリからバーガンジーまで買い付けてくる仕事をいいつかっています。
「それは私にとって非常に苦手な仕事でした。というのは、私の性質は商売の取引に向いておらず、それに片足が不自由なので、船の中を歩くのに樽に足をとられるし、ひどく困難だったからです。でも、その点についても、また酒を買うことも思い煩わず、「私のかかわる仕事は神の仕事です」と神に語り、その仕事を無事に成し遂げました。私は前の年にも同じ仕事でオーバンに行きました。取引がどのように行われたかはよく分かりません。自分の力で何とかできたのではありません。でも首尾は上々でした。
同じように台所仕事も生来の私にとっては、ひどく嫌な仕事でしたが、どのような場合にも神を愛するために行うよう自分を訓練し、神の恵みによってなし遂げられるように祈りましたので、15年間、勤めを楽に果たすことができました。現在は、靴直しの仕事をしていますが、自分のおかれている立場を何よりとさいわいに思っています。でも、神を愛するゆえに、どのような小さな仕事でも心から励んでさせていただきますので、必要なら今の働きの場もいつでも去る心構えはできています」
フラザー・ローレンスは、何をするにも、すべてのことを主に相談する習慣をもって、絶えず神と語り、自分の心を神に向けるようにと勧めています。これはほんの少し努力をすることにより、直ちに神の愛がうちに働いて、何の困難もなくその習慣が身につくとも言っています。
決して堅苦しい本ではありません。
ただひとつ「神を愛する」というメッセージを、強烈なユーモアで語っています。
第一の談話の最後は、こう締めくくられています。
「あなたが、真実に神に仕えるつもりならば、いつでも私のところへおいでください。でも、そういう気持ちがないのでしたら、二度といらっしゃらないでください」
本といっても、著者によって書かれた物ではなく、ブラザーが言い残した言葉が談話としてわずかに記録されていたり、誰かに宛てた手紙が収録されているだけの小さな書物です。
前書きによると、「ブラザーは、フランスの貧しい家に生まれ、18才で回心、最初は兵士となり、その後、ある家の従僕として働き、50を過ぎたあたりで、彼の生涯に大きな出来事がありました。カルメル会修道会という瞑想を旨とする修道会に入ったのです。そこで与えられた仕事は、一番苦手だった台所仕事」だそうです。
修道院に入る前の召使の仕事でも、不器用だったため、よくものを壊したと書いています。今日、読んだ箇所では、修道院で使用するぶどう酒を手に入れるため、パリからバーガンジーまで買い付けてくる仕事をいいつかっています。
「それは私にとって非常に苦手な仕事でした。というのは、私の性質は商売の取引に向いておらず、それに片足が不自由なので、船の中を歩くのに樽に足をとられるし、ひどく困難だったからです。でも、その点についても、また酒を買うことも思い煩わず、「私のかかわる仕事は神の仕事です」と神に語り、その仕事を無事に成し遂げました。私は前の年にも同じ仕事でオーバンに行きました。取引がどのように行われたかはよく分かりません。自分の力で何とかできたのではありません。でも首尾は上々でした。
同じように台所仕事も生来の私にとっては、ひどく嫌な仕事でしたが、どのような場合にも神を愛するために行うよう自分を訓練し、神の恵みによってなし遂げられるように祈りましたので、15年間、勤めを楽に果たすことができました。現在は、靴直しの仕事をしていますが、自分のおかれている立場を何よりとさいわいに思っています。でも、神を愛するゆえに、どのような小さな仕事でも心から励んでさせていただきますので、必要なら今の働きの場もいつでも去る心構えはできています」
フラザー・ローレンスは、何をするにも、すべてのことを主に相談する習慣をもって、絶えず神と語り、自分の心を神に向けるようにと勧めています。これはほんの少し努力をすることにより、直ちに神の愛がうちに働いて、何の困難もなくその習慣が身につくとも言っています。
決して堅苦しい本ではありません。
ただひとつ「神を愛する」というメッセージを、強烈なユーモアで語っています。
第一の談話の最後は、こう締めくくられています。
「あなたが、真実に神に仕えるつもりならば、いつでも私のところへおいでください。でも、そういう気持ちがないのでしたら、二度といらっしゃらないでください」