今、本屋に行くと、沢山の「広岡浅子」関連の書物が並んでいて、その中の一冊を選んで買ってきました。私が選んだのは『超訳 広岡浅子自伝』という本です。著者はもちろん広岡浅子さんです。「超訳」とは、読みやすさを重視するため、現代語訳をする際に、筆者の意図を損なわない範囲で言い換えを行っているという意味だそうです。
浅子は1849年に生まれ、1919年に亡くなった人なので、1896年生まれの私の祖母のもう二世代も前の人になりますから、超訳のおかげで、ずいぶん読みやすくなっていると思われます。
第三者による略伝を読むより、まず、当人の言葉を読むのが、その人のことを一番よくわかるのではないかと思い、読み始めました。
前半1/3ぐらいは、浅子が晩年になって与えられる信仰のことです。還暦の年に浅子は、乳がんの手術を受けました。麻酔で意識を失っていく最中に、「心の雲霧がすべて拭われ、晴れやかになり、何者が来ても侵されないという偉大な力を感じ、かつてない愉快な境地」を経験します。そこで神の霊感に打ちのめされる経験をするのですが、しかし、その後はどんなに祈っても、雑念が湧いてきて、どうしても祈ることのできない日々が続きました。軽井沢の別荘で一人でこもって瞑想したり、教会にも通うのですが、かつて味わった神との交わりの喜びが与えられないまま苦しんでいました。
あるとき牧師にその悩みを訴えると「あなたは山中に一人で座禅でもくむようにがんばって気張りすぎるのでかえって神に語ることができないのであろう。幼い子が父に甘えてものを言うように、あなたの心の願いを言ってみたらどうであろうか」という答えをもらいました。
しかし「私には他人と違って甘えた経験が少しもありません。父も母も、夫も私が甘えるどころか、皆、私を頼りにしたのです」
このような性質が砕かれ、真に祈ることができるまでには、尚時間がかかりましたが、山室軍平との出会いから、ただ聖書と『聖潔の栞』の二冊の本だけを持って、静かなところで祈りもとめるようにと教えを受け、ある朝、「求めよ、しからば与えられ、尋ねよ、しからば遭い、門を叩けよ、さらば開かれん」とのみことばの約束通り、神と触れ合う時が与えられました。
こうして数年後、大阪教会で10代の受洗者9名とともに、宮川牧師から洗礼を受けることになりました。
それまで築き上げてきた実業界での業を、この神の恩寵の業にくらべれば、まことに取るにたりない、つまらないものだと浅子は言っています。
テレビではここのところは放映されるのでしょうか。浅子の人生をトータルで見たとき、ここが一番要だと思うのですが。
浅子は1849年に生まれ、1919年に亡くなった人なので、1896年生まれの私の祖母のもう二世代も前の人になりますから、超訳のおかげで、ずいぶん読みやすくなっていると思われます。
第三者による略伝を読むより、まず、当人の言葉を読むのが、その人のことを一番よくわかるのではないかと思い、読み始めました。
前半1/3ぐらいは、浅子が晩年になって与えられる信仰のことです。還暦の年に浅子は、乳がんの手術を受けました。麻酔で意識を失っていく最中に、「心の雲霧がすべて拭われ、晴れやかになり、何者が来ても侵されないという偉大な力を感じ、かつてない愉快な境地」を経験します。そこで神の霊感に打ちのめされる経験をするのですが、しかし、その後はどんなに祈っても、雑念が湧いてきて、どうしても祈ることのできない日々が続きました。軽井沢の別荘で一人でこもって瞑想したり、教会にも通うのですが、かつて味わった神との交わりの喜びが与えられないまま苦しんでいました。
あるとき牧師にその悩みを訴えると「あなたは山中に一人で座禅でもくむようにがんばって気張りすぎるのでかえって神に語ることができないのであろう。幼い子が父に甘えてものを言うように、あなたの心の願いを言ってみたらどうであろうか」という答えをもらいました。
しかし「私には他人と違って甘えた経験が少しもありません。父も母も、夫も私が甘えるどころか、皆、私を頼りにしたのです」
このような性質が砕かれ、真に祈ることができるまでには、尚時間がかかりましたが、山室軍平との出会いから、ただ聖書と『聖潔の栞』の二冊の本だけを持って、静かなところで祈りもとめるようにと教えを受け、ある朝、「求めよ、しからば与えられ、尋ねよ、しからば遭い、門を叩けよ、さらば開かれん」とのみことばの約束通り、神と触れ合う時が与えられました。
こうして数年後、大阪教会で10代の受洗者9名とともに、宮川牧師から洗礼を受けることになりました。
それまで築き上げてきた実業界での業を、この神の恩寵の業にくらべれば、まことに取るにたりない、つまらないものだと浅子は言っています。
テレビではここのところは放映されるのでしょうか。浅子の人生をトータルで見たとき、ここが一番要だと思うのですが。