DVDで『氷点』の一番新しいバージョンを借りてきました。一番新しいといっても10年ぐらい前の石原さとみちゃんがヒロイン・陽子ちゃんを演じている版ですが。ちょうど母も泊まりに来ているので、一緒に見ようかと思いましたが、もう母は長いストーリを追うのが面倒くさそうです。ちらっと見ていた夫も、こんな複雑なストーリー、よく考えたなと感心していましたが、私は過去に本も読んだので、次はこうなる、次はこうだったと、どんどん筋が思い出されてきました。三浦綾子さんはこの話のあらすじをたった一晩で考え出されたそうです。
今回、久しぶりにドラマを見て、ああ、そうだったのか、と前にはわからなかったことが解明する場面がいくつかありました。
まず、陽子ちゃんが、義理の母親からのあれほどひどいいじめにあっていても、ぐれることなくいじけることなく、明るく聡明に乗り越えていく理由は、以前は、「陽子が非の打ち所のない、正しい少女だったから」であり、そうすることが彼女自身の自負であったからだと理解していました。夏枝は夫の秘密の日記を読むまでは、陽子ちゃんをたいそう可愛がっていましたが、自分の子供を殺した殺人犯の娘が陽子ちゃんだと知ってから、ことあるごとに彼女をいじめるようになりました。
今回、ドラマを見ていて、夏枝が陽子に対して次々に考え出すいじめの子供っぽさが、可笑しくもあり、いじめればいじめるほど、周りの家族や近所の人が陽子ちゃんの味方になっていくのが、夏枝にとって哀れでもあり、またこの夏枝のいじめが陽子ちゃんの成長にどんなに役立っていたか、けっこう夏枝っていい母なのではないかと思いました。
たとえば、高校の卒業式の弔辞を読む代表に選ばれた陽子ちゃんの原稿を、夏枝が当日の朝、何食わぬ顔で白紙と取り替える場面があります。夏枝は弔辞の巻紙とそっくりの大きさの紙をご苦労にも、きれいに拍子木状に折りたたみ、本物をサッとすりかえ、ほくそ笑んで、自分も卒業式に出て、陽子が困り果てるところを見ようと学校に赴きます。ここは見方によってはコメディですね。壇上で白紙の弔辞を見て、一瞬頭が真っ白になった陽子ちゃんは、「人生にはどんなこともあるが、乗り越えていきましょう」(だったかな?)のようなスピーチを即興で行い、これがまた拍手喝采。
で、今回発見したのは、陽子ちゃんが夏枝の意地悪を意地悪とも思わずにどんどんクリアーしていって、それほど傷ついても恨んでもない理由です。陽子は小さいときから近所のうわさで自分がどうもここの家の本当の子でないことに気づいていて、子供の頃から一番胸にあったのは「自分はいったい誰の子で、どうして自分の親は自分を捨てたのだろう」ということではなかったのか。それ以外のことは陽子にとって一義的な意味をもたないのです。だから夏枝にどれほど嫌がらせをされても、父親がよそよそしくても、たいしたことではない。逆に、こんな自分をこれまで育ててくれて有難うという気持ちの方が大きかったのかもしれません。
実際『続・氷点』で、陽子が一番自分で自分をコントロールできないことは、「自分を捨てた母親をゆるせない自分の心」だったということが描かれています。
『続・氷点』では、ことの真相を知った夏枝はもう陽子をいじめることはなく、かつての良い関係にもどりましたが、陽子にとってはそんなことははじめから、どうでもいいことだったのかもしれません。その他にも陽子の守り神のような「辰子」という存在に関しても昔、本で読んだ時とは違う感想を持ちました。辰子がどんなに人間的に優れていようが、やっぱり陽子の心を救うのには限界があったことに気がつきました。
『氷点』には、立派そうな人が一杯出てきますが、実際には皆、的はずれなことばかりしていて、「ああ、こういう人間の姿を三浦さんは描きたかったのではないか」と思いました。何か、一生懸命やっているつもりでも的はずれなことって多いですね、私も。
DVDを返す時に、かんたんなコメントを書くとお米をプレゼントというのがやっていて、その場で、「石原さとみちゃんの甘くない演技がいいっすよ」と書いて出したら、ちゃんとお米のレトルトパックをくれました。カキコメというキャンペーンだそうです。
今回、久しぶりにドラマを見て、ああ、そうだったのか、と前にはわからなかったことが解明する場面がいくつかありました。
まず、陽子ちゃんが、義理の母親からのあれほどひどいいじめにあっていても、ぐれることなくいじけることなく、明るく聡明に乗り越えていく理由は、以前は、「陽子が非の打ち所のない、正しい少女だったから」であり、そうすることが彼女自身の自負であったからだと理解していました。夏枝は夫の秘密の日記を読むまでは、陽子ちゃんをたいそう可愛がっていましたが、自分の子供を殺した殺人犯の娘が陽子ちゃんだと知ってから、ことあるごとに彼女をいじめるようになりました。
今回、ドラマを見ていて、夏枝が陽子に対して次々に考え出すいじめの子供っぽさが、可笑しくもあり、いじめればいじめるほど、周りの家族や近所の人が陽子ちゃんの味方になっていくのが、夏枝にとって哀れでもあり、またこの夏枝のいじめが陽子ちゃんの成長にどんなに役立っていたか、けっこう夏枝っていい母なのではないかと思いました。
たとえば、高校の卒業式の弔辞を読む代表に選ばれた陽子ちゃんの原稿を、夏枝が当日の朝、何食わぬ顔で白紙と取り替える場面があります。夏枝は弔辞の巻紙とそっくりの大きさの紙をご苦労にも、きれいに拍子木状に折りたたみ、本物をサッとすりかえ、ほくそ笑んで、自分も卒業式に出て、陽子が困り果てるところを見ようと学校に赴きます。ここは見方によってはコメディですね。壇上で白紙の弔辞を見て、一瞬頭が真っ白になった陽子ちゃんは、「人生にはどんなこともあるが、乗り越えていきましょう」(だったかな?)のようなスピーチを即興で行い、これがまた拍手喝采。
で、今回発見したのは、陽子ちゃんが夏枝の意地悪を意地悪とも思わずにどんどんクリアーしていって、それほど傷ついても恨んでもない理由です。陽子は小さいときから近所のうわさで自分がどうもここの家の本当の子でないことに気づいていて、子供の頃から一番胸にあったのは「自分はいったい誰の子で、どうして自分の親は自分を捨てたのだろう」ということではなかったのか。それ以外のことは陽子にとって一義的な意味をもたないのです。だから夏枝にどれほど嫌がらせをされても、父親がよそよそしくても、たいしたことではない。逆に、こんな自分をこれまで育ててくれて有難うという気持ちの方が大きかったのかもしれません。
実際『続・氷点』で、陽子が一番自分で自分をコントロールできないことは、「自分を捨てた母親をゆるせない自分の心」だったということが描かれています。
『続・氷点』では、ことの真相を知った夏枝はもう陽子をいじめることはなく、かつての良い関係にもどりましたが、陽子にとってはそんなことははじめから、どうでもいいことだったのかもしれません。その他にも陽子の守り神のような「辰子」という存在に関しても昔、本で読んだ時とは違う感想を持ちました。辰子がどんなに人間的に優れていようが、やっぱり陽子の心を救うのには限界があったことに気がつきました。
『氷点』には、立派そうな人が一杯出てきますが、実際には皆、的はずれなことばかりしていて、「ああ、こういう人間の姿を三浦さんは描きたかったのではないか」と思いました。何か、一生懸命やっているつもりでも的はずれなことって多いですね、私も。
DVDを返す時に、かんたんなコメントを書くとお米をプレゼントというのがやっていて、その場で、「石原さとみちゃんの甘くない演技がいいっすよ」と書いて出したら、ちゃんとお米のレトルトパックをくれました。カキコメというキャンペーンだそうです。