最近は家でFEBC放送によるインターネットによる礼拝ができるので、風邪の時に覗いてみた。音声だけだが、ちゃんと前奏から、賛美歌から、説教から、主の祈りまですべて、懐かしいK先生の礼拝が、礼拝に出席したと同じように聞くことができた。
ついでにカトリックの百瀬神父様の「祈りと心身の健康」というところをクリックしたら、これがなかなか面白くて、最後まで聞いてしまった。
祈りを妨げるものは、「無理に何かをしようとする心の働きであって、往々にして真面目な人が陥りやすい」というようなことをおっしゃっていた。
人間のそういう性質は大神学者の、トーマス・アクィナスも指摘していて、アクィナスによれば「信仰の危機にあるとき」の心と体の持ち方について「自然に逆らわない」ということが第一条件に挙げられるそうである。
そのような場合、無理に祈ろうとせず、以下の四つのことをするとよいそうである。
1 よく眠る (そのために昼間体を動かす)
2 風呂にはいる (アクィナスの時代にも温泉はあったそう)
3 よく食べる (アクィナスの座るテーブルはおなかの周りだけ丸くくり抜かれていた)
4 友を訪ねる(友がいない場合は、それでも一番近しい人に話す)
5 神の前で泣く
百瀬神父様はイエズス会の方であるが、外国の修道院で修行中、頭を使いすぎて眠れなくなり、祈りもできなくなったとき、修練院長の「あなた、裏山にのぼってらっしゃい」ということばに従って、裏山散策をして、神様の前に思いっきり泣かれてすっきりしたそうだ。
そういえば、私は昔から「信仰の危機にあるときこそ、祈りなさい」「祈って神様の前に悔い改めなさい」と言いそうな人には、敢えて近寄らずに、ふて寝をしたりおいしいものを食べたり、無駄遣いをしたりしていたのだが、それはある意味正解だったのだ!そしていつもたいていそのやり方でグサグサの気持ちから治ってきていたのだ。
1.2.3は毎日文句なくできている。4も大体OK.この1年、5 がなかなかできなかった。私の課題は5 か・・・
これは信仰者だけでなく、うつ病の人にも応用できるのではないか。
ついでにカトリックの百瀬神父様の「祈りと心身の健康」というところをクリックしたら、これがなかなか面白くて、最後まで聞いてしまった。
祈りを妨げるものは、「無理に何かをしようとする心の働きであって、往々にして真面目な人が陥りやすい」というようなことをおっしゃっていた。
人間のそういう性質は大神学者の、トーマス・アクィナスも指摘していて、アクィナスによれば「信仰の危機にあるとき」の心と体の持ち方について「自然に逆らわない」ということが第一条件に挙げられるそうである。
そのような場合、無理に祈ろうとせず、以下の四つのことをするとよいそうである。
1 よく眠る (そのために昼間体を動かす)
2 風呂にはいる (アクィナスの時代にも温泉はあったそう)
3 よく食べる (アクィナスの座るテーブルはおなかの周りだけ丸くくり抜かれていた)
4 友を訪ねる(友がいない場合は、それでも一番近しい人に話す)
5 神の前で泣く
百瀬神父様はイエズス会の方であるが、外国の修道院で修行中、頭を使いすぎて眠れなくなり、祈りもできなくなったとき、修練院長の「あなた、裏山にのぼってらっしゃい」ということばに従って、裏山散策をして、神様の前に思いっきり泣かれてすっきりしたそうだ。
そういえば、私は昔から「信仰の危機にあるときこそ、祈りなさい」「祈って神様の前に悔い改めなさい」と言いそうな人には、敢えて近寄らずに、ふて寝をしたりおいしいものを食べたり、無駄遣いをしたりしていたのだが、それはある意味正解だったのだ!そしていつもたいていそのやり方でグサグサの気持ちから治ってきていたのだ。
1.2.3は毎日文句なくできている。4も大体OK.この1年、5 がなかなかできなかった。私の課題は5 か・・・
これは信仰者だけでなく、うつ病の人にも応用できるのではないか。