ことば咀嚼日記

日々読んだ活字を自分の頭でムシャクシャ、時にはゴックン、時には、サクサク咀嚼する日記

27日 娘の死を悼む

2010-06-07 | 土佐日記
大津から浦戸を目指して漕ぎ出でます。こんな風にバタバタしているうちに、京都で生まれた女の子が、この土佐で急に亡くなりましたので、ここのところの出発準備に際しても、何も口をはさみません。京都に帰るのに、女の子のいないことだけが、悲しくて恋しくてたまりません。そばにいる人たちも悲しみをこらえることができません。この旅の間に、ある人(貫之)が書いて出した歌は、

都へと思ふものの悲しきはかへらぬ人のあればなりけり

(現代語訳) 帰京にも などて心が 悲しめる 帰らぬ人の 帰らぬ思い

またあるときには、

あるものと忘れつつなほ亡き人をいづらと問ふぞ悲しかりける

 (現代語訳) 亡き人の 姿を探して 問うときの 心悲しき 在りし日のこと



と言っている間に鹿児の崎というところに、新任の国主の兄弟、また別の人たちが、いろいろ酒などをもって来て追いかけてきて、浜辺に舟から浜辺に降りて、別れが辛いと言いました。国主の館にいる人たちの中で、この人たちこそが心ある人たちだと、前の国主である貫之様は、おっしゃったとか。



貫之さんが失くした子はどんなお子様だったのでしょう。「死し子顔よかりき」と後の章で書いてあるので、可愛い子だったのでしょう。
後から追いかけてきてくれた人たちは、娘を亡くした家族の思いをよく知っていてくれたのではないかと想像します。「心ある人」と何回も貫之さんが書いていますから。