私は古典を高校以来勉強したことがありません。でも『土佐日記』の原文を訳注付で読むのと、夏目漱石の『坊ちゃん』を訳注付で読むのとは、難しさにそう変わりはないのに意外性を感じました。
訳注を見ればどうしてもわからないことは今のところありません。こりゃ不思議。
東北弁より、また英語より簡単かも!
『土佐日記』に出てくる古典文法は、とても面白いです。「え・・・ず」の形で、不可能、つまり否定形です。「えも言われぬ美しさ」など、現代語にも残っていますが、このように否定の副詞と、打消しの意味の「ず」で、真ん中の言葉を挟みこむようにする方法は、今の日本語には他に何があるでしょうか。
「今もって・・・ない」「よく・・・ない」「まだ・・・ない」「なんとしても・・・ない」などたくさんあるようですが、フランス語や朝鮮語にも2つの言葉で、挟み込むようにして否定形を作る文法が、初級文法に出てきます。その形が苦手だったのですが、日本語にもあったことがわかって、それが平気になりました。
また、動詞の語尾変化も、古典文法の方が、音便変化がまだなくて、外国人に教えやすい気がします。「言う」のテ形は「言って」ですが、古典文法だと「言ひて」となり、この方が簡単ですね。
訳注を見ればどうしてもわからないことは今のところありません。こりゃ不思議。
東北弁より、また英語より簡単かも!
『土佐日記』に出てくる古典文法は、とても面白いです。「え・・・ず」の形で、不可能、つまり否定形です。「えも言われぬ美しさ」など、現代語にも残っていますが、このように否定の副詞と、打消しの意味の「ず」で、真ん中の言葉を挟みこむようにする方法は、今の日本語には他に何があるでしょうか。
「今もって・・・ない」「よく・・・ない」「まだ・・・ない」「なんとしても・・・ない」などたくさんあるようですが、フランス語や朝鮮語にも2つの言葉で、挟み込むようにして否定形を作る文法が、初級文法に出てきます。その形が苦手だったのですが、日本語にもあったことがわかって、それが平気になりました。
また、動詞の語尾変化も、古典文法の方が、音便変化がまだなくて、外国人に教えやすい気がします。「言う」のテ形は「言って」ですが、古典文法だと「言ひて」となり、この方が簡単ですね。
【哲】0的確定論
『或質的な面が物理的に確定する場合の確定要素は【0】である。』
【0特性】
◇絶対性
『拡がりが無い,』
◇不可分性
『分けられない,』
◇識物性
『存在の1の認識が可能, 即ち考えるもとの全てが【0】より生ずる, 但し質的な変化に対し絶対保存できない,』
◇変化性
『物による逆の確定が不可能な変化 (可能性の確立), 即ち存在の【1】を超越して変化する。』
【0特性】が真理であるならば, 時間平面的な視野は物的ではなく, 質的に変化していることになる。その根拠が【0∞1】, 有限的無限性を有する物による質の確定が不可能であること, そもそも確定する質が何かを知り得ない以上, 物理的確定論は絶対的ではなく類似事的な確定であること, である。
【零的確定論】では, 一つの時間平面が, 拡がり無き【時(とき)の間(はざま)】に確定していると考える。同様に空間を捉え, 【空の間】に空間を置き, 絶対的変化を与える【質】を流し込む。つまり時間平面は, この表裏不可分の裏側の【絶対無】により0的に確定されることになる。
△無は有を含む。