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ことば咀嚼日記

日々読んだ活字を自分の頭でムシャクシャ、時にはゴックン、時には、サクサク咀嚼する日記

満月の夜

2013-05-26 | 日記
満月の夜は、鳥も興奮するのか、昨晩は、夜に鶯の「ホーホケキョ」という声が突然窓越しに聞こえてきて、驚きました。
夜、月を見ながらいつもの公園を散歩をしていたら、警官が歩いているので、なんだかイヤになって5週する予定を1週で切り上げて帰ってきました。「こんばんは」と声を掛け合ったものの、こんなことは初めて、なんか興ざめです。月夜の晩は何か事件でも起きると思って、警戒しているのでしょうか。

武田泰淳の『富士』を読み始めました。意外にすらすら読めます。
第一章は「別荘にでるねずみと、別荘の庭に来るリスにどんな違いがあるか」というエッセイ風の話から始まります。泰淳は、同じ生き物なのに、ねずみは気持ちわるいから撲滅する、リスは可愛いからえさをやる、ということのなかに自己矛盾を感じて悩みます。悩みながらもねずみにはネズミ捕りを仕掛け、リスにはパンくずを撒いて、はたまた悩みます。いったい自分は何をしているのか、と。
二章からは、富士のすそ野にある戦時下の精神病院の中の話です。そこに若い憲兵がやってきて、若い精神科医といろいろ対話するのですが、憲兵は、「極論を言えば、戦時下に精神病にいる患者はすべて要らないものである。若い日本人が戦地で命を落としているというのに、ここではのんびりと、戦火をのがれ暮らしている患者がいる。こんな人たちを生かしておいて何のためになるのか」といったことを(自分の意見ではないが、と断りながら)医者に言います。医者は医者で、患者たちの心の奥には、いいしれない苦しみがあるのだということをわかっていますが、患者と憲兵との間にはさまって、はっきりと述べることは出来ません。
憲兵は、戦地における自分の仕事について医師に語ります。「戦地ではほおっておくと、人間はむちゃくちゃをする。放火、殺戮、強姦など、ありとあらゆることをする。それをエスカレートさせないように、兵士の道徳を守るのが自分たちの仕事である」と。

ここまで読んで、大阪の橋下のことを思い出しました。最近、テレビで顔を見るのも嫌な人です。この憲兵の言っていることとよく似ているからです。
彼の言うことに嫌悪感を持つのは、単なる偽悪主義だからではなく、戦争中の人間のおぞましさを当然のことのように、正当化していうからなのでしょうか。権力を持つ人があのような人である場合、すでにもう何人もの人を精神的においつめて殺しているのではないでしょうか。警察はああいう大悪人こそ取り締まってもらいたいものです。