ことば咀嚼日記

日々読んだ活字を自分の頭でムシャクシャ、時にはゴックン、時には、サクサク咀嚼する日記

「生の証を残して」

2009-08-31 | 日記
「人生」ということばに情感をのせてあれこれ語ることは、好みではありませんが、それでもここはさまざまなことが繰り広げられる「現場」であるように思います。
 私たちは多くの人びとと共通したものをかかえながら、しかしひとつとしておなじ人生はないという構造の中で蠢いている、意識あるアメーバーのようなものかもしれません。
意識はつねに「自分」に向かい、「自分とは何か」を探ろうとします。それは意識の業というもので、はらってもはらっても、どこかに身をひそめて、あるとき不意打ちのように襲ってきたりするのです。ですから、私たちは自分の業の深さにおうじて、そのことに思いを巡らせてきました。答えはほとんどの場合ありません。結局のところタマネギの皮のように「芯には何もない」ということになります。しかし、答えのない問いを巡り、あれこれ格闘することが(これは格闘技のようなものです)その人を造り上げていくことになるのでしょう。
 ここに描いた三人の女性は、表現をしていくことで、「自分とは何か」を問い続けようとしたした人びとです。自分を表すことにうちこむ作業は、それほど明るいこととはいえません。たった一人で立つ場所を開拓し、そこから世の中に向けて、受けいられるかどうか分からない熱情を発信していくのです。大方の場合は表現が持つ孤立性と普遍性のはざまの中で、長い孤独な時間を耐えなければならないというところです。
 三人の女性は「そうしたい」という火種があり、それを掻き立て入ることに関心と時間をそそいだ人びとです。しかし、世間と自分を結ぶはずだった表現が、やがて隔絶させるものに変容していく。自分を表すという行為は、そうした”毒”もかかえていくことでしょう。
 未完のまま、彼女たちは早くに世を去りました。意識の強さによって立ち、その強さに苦しめられ、御することができないまま、死の方向にいっきに駆けていったような一途さを思わされます。
 弱くて危うくて、しかし忘れられなくて―彼女たちの軌跡を書きながら、私は自分自身をひきつれて書いているような気持ちも味わいました。
 取材におうじてくださった遺族および関係者の方たち、軽妙かつ的確に導いてくれた編集者の土器屋泰子さんに心からのお礼を述べつつ―。
                  1997年1月         石村博子

      石村博子『生の証をのこして』 筑摩書房 1997年 あとがき


「三人の女性」とは、詩人、山本陽子(女優とは別人)、女優、中島葵、作家、李良枝です。この夏、李良枝の作品を読み進めていた途中、良枝の評伝が載っているこの本に出会いました。
「自分とは何か」を求めて、長らく「自己表現」ブームが続いています。しかし、自己表現を突き詰めていくと、「世間と自分を結ぶはずだった表現がやがて隔絶させるものに変容していく毒」にもなっていく恐ろしさをこの文章は暴いています。
 普通の人はそこまで突き詰めて考えるまでもなく、過ぎていくことでしょう。ただ「火種」をもった人たちは、この恐ろしさを十分に弁える必要があるのではないでしょうか。
 李良枝の『由熙』という作品は、どこまで行っても、自分が何であるかを突きとめられない、どこにも着地点を見出せない哀しみが、ハングルと日本語という媒介をとおして描かれています。
 
20年前に読んだ時には、この作品がまったくといっていいほど理解できませんでした。まず、語り手の設定からして変です。なぜ由熙自身の口で語らせるのではなく、下宿のお姉さんの口を通して由熙のことを語らせる必要があるのか、が疑問で、なんとももどかしい小説だと感じたことを覚えています。その手法が、この作品の内容と形式を一致させる上で、非常に効果的だったと気づいたのは最近読み返してからです。
つまりもどかしい自分の姿そのものが、この小説の中心にすえられているのです。

私自身の自分を知る試みは、30代で知った『キリスト教綱要』の冒頭の部分「神を知ることと自分を知ることは同じである」という箇所を読んでから、方向が一転しました。
自分で自分を知ることができないのは、鏡を通してしか自分の顔が見られないのと同じで、自分を超えた存在に対面してこそ初めて分かる、という意味のことが語られていました。つまりは神認識と自己認識はコインの裏表である、と理解しました。
カルバンはそこから「人間の悲惨さ」と「神の憐れみ」に話を向けるのですが・・・

つきつめて逝ってしまった若い友人に追悼の意を捧げます。