ご飯
2009-09-01 | 日記
日常にはおちはなく、どのような祝いの夜も明けるし、どんな悲しいことも長くは続かない。食べたり、飲んだり、出かけたり、寝たり、風呂に入ったり、そういうことの力は憎んだり、愛したり、出会ったり、別れたりするよりも強い気がする。そうでなければ死別の悲しみなど、永久に乗り越えられはしない。体があるかぎり、それを維持する営みは続き、それは人間にとって苦痛ではあるけれどもやはり救いなのだと思う。
だからこそ、地味でちょっと悲しくて、あまり意味のない最後の章が私は結構好きだ。永遠に続く恋はないし、超能力があっても人はお風呂を洗ったりしなければならないし、タクシーの運転手さんとの会話で意外に人は心晴れたりするものだ。
吉本ばなな 『アムリタ』文庫版あとがき2002年春
『アムリタ』は、吉本ばななの作品の中で『うたかた』と並んで、私が最も何度も愛読しているもの。
最初の文庫はもうぼろぼろになってしまったので、最近アマゾンで新しいものを買いなおした。
あとがきの中では「超能力があっても人はお風呂をあらったりしなければならないし」のくだりが好き。
今日はいつもはあまり行かない団地の方のスーパーに行ったら、朝の時間だったためもあって、野菜がばら売りで山のようにつんであった。ナスもピーマンもジャガイモも「好きなだけとってください」と言わんばかりに、力強く積まれてあった。
レジで牛乳を買う時、チケットをもっているかと聞かれて、もっていないというと、後ろの女の人が、「これ使って」と自分のチケットの牛乳のところをびりびり手で破ってくれてくれた。お礼を言って、ありがたくいただいた。50円ぐらい安くなった。
夕食は、スーパーで買った大根とにんじんとやわらかい薄揚げを一緒に炊いて、きゅうりの酢の物を作って、秋刀魚を焼いてスダチをしぼって食べた。
それから熱いお茶。
明日の朝は起きるのが楽しみでありますように。
だからこそ、地味でちょっと悲しくて、あまり意味のない最後の章が私は結構好きだ。永遠に続く恋はないし、超能力があっても人はお風呂を洗ったりしなければならないし、タクシーの運転手さんとの会話で意外に人は心晴れたりするものだ。
吉本ばなな 『アムリタ』文庫版あとがき2002年春
『アムリタ』は、吉本ばななの作品の中で『うたかた』と並んで、私が最も何度も愛読しているもの。
最初の文庫はもうぼろぼろになってしまったので、最近アマゾンで新しいものを買いなおした。
あとがきの中では「超能力があっても人はお風呂をあらったりしなければならないし」のくだりが好き。
今日はいつもはあまり行かない団地の方のスーパーに行ったら、朝の時間だったためもあって、野菜がばら売りで山のようにつんであった。ナスもピーマンもジャガイモも「好きなだけとってください」と言わんばかりに、力強く積まれてあった。
レジで牛乳を買う時、チケットをもっているかと聞かれて、もっていないというと、後ろの女の人が、「これ使って」と自分のチケットの牛乳のところをびりびり手で破ってくれてくれた。お礼を言って、ありがたくいただいた。50円ぐらい安くなった。
夕食は、スーパーで買った大根とにんじんとやわらかい薄揚げを一緒に炊いて、きゅうりの酢の物を作って、秋刀魚を焼いてスダチをしぼって食べた。
それから熱いお茶。
明日の朝は起きるのが楽しみでありますように。
聖書には 飲んで食べて楽しめともあります。
ああ 死ぬまで生きたい!