「ル・アーブルの靴磨き」という映画を見る。
フランス語が主に話されていたようだが、言葉を超えたコミュニケーションの世界に入り込んだ感じがした。人々の表情もいわゆる「表情豊か」には程遠い。なんというか、ほとんど表情が変わらない。
にもかかわらず、少年の目の必死さとか、見詰め合うシニアカップルの幸せな一瞬とか、妻の何かを決意した表情とか、犬の心配そうな雰囲気が画面からプーンと漂ってくるのが不思議。
美男美女がまったく出てこない。かつて美男美女だったろうなという人はたくさん出てくるが。
これも不思議。
不思議なシーンは、他にもあって、靴磨きの夫が仕事に出かけるときの靴を、糟糠の妻が、毎夜、布でぴかぴかに磨いているところとか。
見込みのないはずの妻の病気が、どんでん返しのように完治して、夫が病院に迎えに行ったら、黄色い向日葵のようなワンピースを着た妻がすっくと立っているところなど。
あのシーンでは感動した。うーん、ヤラレタ!と思った。
苦しいことも辛いこともそのときに意味はわからないが、後でわかる、っていうことかもしれないなと思った。その時はきっとあの向日葵の花のような妻を見たときと同じ感動に満たされるにちがいない。そのことを奇蹟とよぶのかもしれないね。後で分かるまでは普通に真面目にくらしていないとダメなんだね、たぶん。
さっきから「不思議・不思議」を連発しているが、私、最近生きることが不思議でしょうがない。
不思議が日常化している。わからないことだらけだ。ときどき。「現実」をクルクルっと丸めて、ポーンと海に投げ込みたくなってしまう。でもなぜか時々奇蹟が起こる。やっぱり不思議。この映画もそんな感じだった。
とても真面目に作ってある映画で職人的なつくりだった。監督の顔を見たらやっぱりそのとおりの顔だったから笑った。そこは不思議じゃなかった。
フランス語が主に話されていたようだが、言葉を超えたコミュニケーションの世界に入り込んだ感じがした。人々の表情もいわゆる「表情豊か」には程遠い。なんというか、ほとんど表情が変わらない。
にもかかわらず、少年の目の必死さとか、見詰め合うシニアカップルの幸せな一瞬とか、妻の何かを決意した表情とか、犬の心配そうな雰囲気が画面からプーンと漂ってくるのが不思議。
美男美女がまったく出てこない。かつて美男美女だったろうなという人はたくさん出てくるが。
これも不思議。
不思議なシーンは、他にもあって、靴磨きの夫が仕事に出かけるときの靴を、糟糠の妻が、毎夜、布でぴかぴかに磨いているところとか。
見込みのないはずの妻の病気が、どんでん返しのように完治して、夫が病院に迎えに行ったら、黄色い向日葵のようなワンピースを着た妻がすっくと立っているところなど。
あのシーンでは感動した。うーん、ヤラレタ!と思った。
苦しいことも辛いこともそのときに意味はわからないが、後でわかる、っていうことかもしれないなと思った。その時はきっとあの向日葵の花のような妻を見たときと同じ感動に満たされるにちがいない。そのことを奇蹟とよぶのかもしれないね。後で分かるまでは普通に真面目にくらしていないとダメなんだね、たぶん。
さっきから「不思議・不思議」を連発しているが、私、最近生きることが不思議でしょうがない。
不思議が日常化している。わからないことだらけだ。ときどき。「現実」をクルクルっと丸めて、ポーンと海に投げ込みたくなってしまう。でもなぜか時々奇蹟が起こる。やっぱり不思議。この映画もそんな感じだった。
とても真面目に作ってある映画で職人的なつくりだった。監督の顔を見たらやっぱりそのとおりの顔だったから笑った。そこは不思議じゃなかった。