古い引き出しを整理する機会があって、たくさんの手紙やたくさんの写真がでてきて、
中に、薄いノートが一冊あって、子供たちが12歳と10歳の時のひと夏の生活が日記として残されていた。書いたのはまだ若かった私。
夏休みの朝から始まって夜寝るまでのことが、淡々と書いてあった。
息子がヤキソバを作ってくれて、後片付けもしてくれたので200円あげた、とか、娘が音楽と作文の宿題ができなくて、クスンクスンと泣いた、とか。私が、子供たちのプールの前におにぎりをたくさん作っておいて、中国語の教室に出かけたら、きれいに食べてあったとか、猫のミルクが屋根修理の人におびえて、一日中どこかに隠れてみんなでさがしたとか、友達の家で子供同伴の飲み会があって、11時まで子供たちと出かけて帰ったら夫がすねていた、とか。
子育ての一番楽しかったころ。
そのころ、そんなに楽しんだという感じはなかったが、今から読み返すと本当に平凡な日々が何物にも変えがたいくらいの貴重なものだったということがわかった。
自分が、真面目で案外一生懸命子育てしていたことや、子供たちをどんなに大切に思って育ててきたか、また若かった夫も毎日一生懸命働いていた日々が蘇ってきた。
最近自信をなくすことの多い日々だが、与えられた環境で、それなりにいろいろ考えながら失敗しても、また気を取り直しながらやってきたことがわかって、少し自信をとりもどした。
それはうまくいったという自信ではなく、いろいろなことがありながら、やはり大きなものに守られてやってきたという安堵感と言うか、安心感だ。
やっぱり日記はつけたほうがいいと思い、また今日から紙の日記をつけることにした。心を書くのではなく、そのときの出来事をただ綴ったものの方が、思い出が蘇る。
中に、薄いノートが一冊あって、子供たちが12歳と10歳の時のひと夏の生活が日記として残されていた。書いたのはまだ若かった私。
夏休みの朝から始まって夜寝るまでのことが、淡々と書いてあった。
息子がヤキソバを作ってくれて、後片付けもしてくれたので200円あげた、とか、娘が音楽と作文の宿題ができなくて、クスンクスンと泣いた、とか。私が、子供たちのプールの前におにぎりをたくさん作っておいて、中国語の教室に出かけたら、きれいに食べてあったとか、猫のミルクが屋根修理の人におびえて、一日中どこかに隠れてみんなでさがしたとか、友達の家で子供同伴の飲み会があって、11時まで子供たちと出かけて帰ったら夫がすねていた、とか。
子育ての一番楽しかったころ。
そのころ、そんなに楽しんだという感じはなかったが、今から読み返すと本当に平凡な日々が何物にも変えがたいくらいの貴重なものだったということがわかった。
自分が、真面目で案外一生懸命子育てしていたことや、子供たちをどんなに大切に思って育ててきたか、また若かった夫も毎日一生懸命働いていた日々が蘇ってきた。
最近自信をなくすことの多い日々だが、与えられた環境で、それなりにいろいろ考えながら失敗しても、また気を取り直しながらやってきたことがわかって、少し自信をとりもどした。
それはうまくいったという自信ではなく、いろいろなことがありながら、やはり大きなものに守られてやってきたという安堵感と言うか、安心感だ。
やっぱり日記はつけたほうがいいと思い、また今日から紙の日記をつけることにした。心を書くのではなく、そのときの出来事をただ綴ったものの方が、思い出が蘇る。