子曰、不患人之不己知、患己不知人也、
子の曰わく、人の己れを知らざることを患(うれ)えず、人を知らざることを患(うれ)う。
先生がいわれた、「人が自分を知ってくれないことを気にかけないで、人を知らないことを気にかけることだ。」
孔子 『論語』学問編
ちょっと孔子の故郷に行ってこようと思って、論語などを出して読んでみる。
どちらかというと「タオ」とか老荘思想の方に惹かれていたが、孔子様だって
こんなにいいことを言っている、という一節が出てきた。
「人を知らないことを気にかける」
これさえあれば、人生、愚痴も退屈もしないで、トコトコ死ぬまで歩いていけるような気がする。
本当に人のことを「知らない」ことは人生で重大な過失だ。
聖書的には「知る」と「愛する」とは、同じ言葉を原文で使ってあると聞いたことがある。
自分をもてあまして、ヤケになっているときは、人にも無関心になっているのは事実であるがゆえに、なかなか痛い言葉だ。
「愛じゃなくても恋じゃなくても君を離しはしない」という不思議な歌詞が「リンダリンダ」にあり、はて、これはどんな感情であるかとしばらく疑問に思っていたが、なんとなく今は分かる気がする。
愛とか恋とか名づけなくても、人に対する想いは確かにあって、名前をつけられないようなもの、たぶんそれはその人を「知る」ということと深く関係がありそうなもの。名詞化は時間がかかる。難しい。
「恋をして美しくなろう」とか最近では「○○でいつまでも若々しく」とか「年をとっても恋愛を」とかいう雑誌のキャッチを見ると、げんなりしてしまう。
目的が違うだろう、目的が!自分が豊かになるために恋や愛まで利用するのかと思って、いい加減にしろ!とどなってはみるが。
子の曰わく、人の己れを知らざることを患(うれ)えず、人を知らざることを患(うれ)う。
先生がいわれた、「人が自分を知ってくれないことを気にかけないで、人を知らないことを気にかけることだ。」
孔子 『論語』学問編
ちょっと孔子の故郷に行ってこようと思って、論語などを出して読んでみる。
どちらかというと「タオ」とか老荘思想の方に惹かれていたが、孔子様だって
こんなにいいことを言っている、という一節が出てきた。
「人を知らないことを気にかける」
これさえあれば、人生、愚痴も退屈もしないで、トコトコ死ぬまで歩いていけるような気がする。
本当に人のことを「知らない」ことは人生で重大な過失だ。
聖書的には「知る」と「愛する」とは、同じ言葉を原文で使ってあると聞いたことがある。
自分をもてあまして、ヤケになっているときは、人にも無関心になっているのは事実であるがゆえに、なかなか痛い言葉だ。
「愛じゃなくても恋じゃなくても君を離しはしない」という不思議な歌詞が「リンダリンダ」にあり、はて、これはどんな感情であるかとしばらく疑問に思っていたが、なんとなく今は分かる気がする。
愛とか恋とか名づけなくても、人に対する想いは確かにあって、名前をつけられないようなもの、たぶんそれはその人を「知る」ということと深く関係がありそうなもの。名詞化は時間がかかる。難しい。
「恋をして美しくなろう」とか最近では「○○でいつまでも若々しく」とか「年をとっても恋愛を」とかいう雑誌のキャッチを見ると、げんなりしてしまう。
目的が違うだろう、目的が!自分が豊かになるために恋や愛まで利用するのかと思って、いい加減にしろ!とどなってはみるが。