ことば咀嚼日記

日々読んだ活字を自分の頭でムシャクシャ、時にはゴックン、時には、サクサク咀嚼する日記

1954年前の海難事故

2014-05-01 | 日記
毎日毎日、韓国での海難事件が報道されます。船長や機関士の大半が先に逃げて、乗客が取り残された話は、今に始まったことではないことが聖書に書いてあります。「使徒言行録」の中に、パウロが囚人としてローマに船出するときに難破して、マルタ島に漂流し助け出されるまでのことが詳細に記されています。

もともと、パウロはクレタ島から出航する際に、「断食日も過ぎていて」時期的に危険だということを皆に告げます。
「皆さん、わたしの見るところでは、この航海は積荷や船体ばかりでなく、わたしたち自身にも危険と多大な損失をもたらすことになります」と告げましたが、「百人隊長はパウロの言うことより、船長や船主の言うことを信用した」と書いてありました。停泊しているクレタ島の東岸は、辛気臭いところでこんなところで冬をすごすより早くもっと気候のいいところに出航したかったようです。また経済的な理由もあったのでしょうか。

そして、出航することになるのですが、たまたま南風が静かに吹いてきて、みな望みどおりにことが運ぶと考えた矢先、島の方から暴風が吹き降ろしてきて、あっという間に流されてしまいました。何日も太陽も星も見えず、船を軽くするために人々は積荷を降ろし、船具まで投げ捨ててしまいました。食事さえ何日も取っていませんでした。
パウロは、皆の中に立ってこういいます。

「皆さん、わたしの言ったとおりに、クレタ島から船出していなければ、こんな危険や損失を避けられたにちがいありません。しかし、今、あなたがたに勧めます。元気を出しなさい。船は失うが、皆さんのうち誰一人として命を失う者はないのです。私が仕え、礼拝している神からの天使が昨夜私のそばに立って、こう言われました。『パウロ、恐れるな。あなたは皇帝の前に出頭しなければならない。神は一緒に航海しているすべての者をあなたに任せてくださったのだ』ですから皆さん、元気を出しなさい。私は神を信じています。私に告げられたことはかならずその通りになります。私たちは必ずどこかの島に打ち上げられるはずです」

14日後の夜、アドリア海を漂流中、船がどこかの陸地に近づいていることを船員たちは感じとり、座礁を恐れ、夜の明けるのを待って、こっそり自分たちだけ小船を出して、船から逃げ出そうとしました。船員たちは、自分たちが逃げる小船を出すとき、ほかの人には知られないように、錨を下ろすふりをしました。
パウロはそれを見て、百人隊長と兵士に「あの人たちが船にとどまっていなければ、あなたがたは助からない」と言ったので、その小船は兵士たちに手綱をきられ、流れ去りました。

夜が明けてパウロが最初にしたことは、一同に食事をするように勧めたことです。
14日間、不安のために何も食べずにすごしてきた人々に、パウロは皆の前でパンを取り、神に感謝を捧げてそれを裂いて食べ始めました。このとき船にいた人は全部で276人でした。皆は十分に食べてから、穀物を海に投げ捨てて船を軽くした、と書いてあります。

朝になり、どこかの陸地に船が近づきました。そこに上陸しようと船員は試みるのですが、深みに挟まれた浅瀬にぶつかり船が乗り上げてしまいます。船首がめりこんで動かなくなり、船尾が激しい波で壊れだし、まず囚人たちが泳いで逃げるのを防ぐため、兵士たちが、彼らを殺そうとしますが、「百人隊長はパウロを助けたいと思ったので、この計画を思いとどまらせた」と書いてあります。

ところで、パウロがあまりにローマに行く気まんまんなので、つい彼の立場を忘れそうになりますが、パウロがこの船に乗ったのは、囚人としてでした。当時の新興宗教であったキリスト教を各地で広める際に、あちこちからユダヤ人の排斥を受け、あまりに世間を騒がす騒擾罪のようなもので、逮捕されていたのですが、パウロ自身はローマに行って皇帝にキリストを伝えることを使命としていたので、「キリストに捉えられた囚人」だと自分では言っています。

そして泳げるものがまず飛び込んで陸に上がり、残りの者は板切れや、乗組員につかまって泳いでいくように命じられました。
結果、皆助かりました。

「このようにして、全員が無事に上陸した」

上陸したところがマルタ島です。私がマルタで一番行きたかったのが、パウロ難破教会でした。 

これはAD.60年から61年の出来事です。非常に詳細にことの顛末が書いてあるので、船の難破のときに、人がどのような態度をとるのかがよくわかります。