在住外国人だけが言語習得を負担するのか
以前、フィリピン人女性と結婚した男性の母親から彼女に対する不満を聞いたことがあります。彼女が日本的な挨拶ができないことや日本食をうまく作れないことなど日本人の生活になかなか慣れないことへの不満でした。そしてフィリピン人の友人と(彼女たちの言語で)電話で話すのを嫌がっていました。
それを聞いて、自分の家族と離れて言葉の通じない文化の異なる外国で暮らす彼女の心情をどうして理解してあげないのだろうと思いました。その母親に自身や息子は(フィリピンの言語の)タガログ語かせめて英語は勉強しているのか尋ねたところ、「どうして自分達がわざわざ外国語を学ばねばならないのか」、「日本に来たのだから息子の嫁が日本社会に合うよう努力するべきだ」と言われました。
外国人女性と結婚した日本人男性やその家族にはこのような発想を持っている人がよくいます。結婚したために慣れない異文化の国に単身来た女性の苦労や心情を想像して、少しでも理解し合い協力し合うのが家族なのではないでしょうか。自分たちも彼女の母語やせめて英語を話す努力をどうしてしないのか、日本に来た外国人だけが一方的に言語習得の苦労を担わなければならないという姿勢はアンフェアではないかとその母親に疑問を投げかけたりしました。
日本人側の言語負担の勧め
看護士・介護福祉士の受け入れについても同様です。患者や現場の同僚は日本人だからと、全て外国人側が言語(日本語)習得という重荷を負うのではなく、日本人側も努力してはどうでしょうか。
余裕のない患者はともかく、現場の同僚は難しい日本語表現の部分や書類・メモの受け渡しなど漢字表記を伴うようなコミュニケーションは英語を使ったり併記するとかいろいろと工夫できることはあるのではないでしょうか。会話まではできないにしても単語レベルなら、受験英語を経験している日本人なら少し努力すればかなりの助けになるはずです。
世界の共通語である英語でコミュニケーションができない日本人に合わせるよう、言語負担を全て外国人に負担させるのはフェアではないと感じます。日本社会のために家族と離れて来てくれる看護士・介護福祉士たちへの感謝の気持ちを持ち、お互いが努力することが大切だと思うのです。
新見康之(にいみ やすゆき)
「フィリピン看護士・介護福祉士は来てくれるのか」
2008・3月「海外の日本語教育紹介ブログ!」より抜粋
三行要約
「郷に入れば郷に従え」にしたがって、息子に来た外国人妻の母国語使用を嫌がって、日本語を強要する姑、巷に多々あり。
フィリピン人看護士、介護士導入にあたっても、日本語を強要する風潮あり。
日本人だって、もっと相手の国のことばを勉強して、歩み寄ったらどうなのさ、遠い外国から心細い思いで来てくださってるんだから。
フィリピンから介護福祉士をめざしてやってくるはずの「就学コース」の学生さんが、今年は定員枠の50名を下回る30名にとどまったことが朝日新聞9月4日付けのニュースに載っていました。
「就学コース」だからバイトが週28時間と制限されている上、学費を自分である程度負担しなければいけないのが、その原因だそうです。
一方病院などで働きながら資格を取る「就労コース」のフィリピン学生さんも、450人の枠のうち、283人にとどまったそうですが、こちらは主に、日本語習得および国家試験の難しさに、敬遠の原因があるということです。
この文脈の「フィリピン」を「アメリカ」もしくは「ドイツ」「フランス」に変えて見て読んだら、どうでしょう。
姑はフランス人嫁にも、日本語を強要するでしょうか。
では次は、「日本からフィリピンに介護資格を取りに行く」日本人女性を想像してください。タガログ語習得して、タガログ語、もしくは英語で国家試験にパス、それも三年以内の条件付で。
私、語学好きだから、タガログ語習得には燃えるかもしれないけど、国家試験なんて~・・・・ちょっと自信ないです。
せめて、介護される場合を想定して、今からタガログ語を勉強しておこうかな。「背中の右側、掻いてください」「ちょっと漏らしてしまいましたので、取り替えてください」「ご飯はこころもち多め、おかずは少しでいいです」「今日はディの折り紙講座、休みたいですがいいですか」「カラオケには行きます」とか。
以前、フィリピン人女性と結婚した男性の母親から彼女に対する不満を聞いたことがあります。彼女が日本的な挨拶ができないことや日本食をうまく作れないことなど日本人の生活になかなか慣れないことへの不満でした。そしてフィリピン人の友人と(彼女たちの言語で)電話で話すのを嫌がっていました。
それを聞いて、自分の家族と離れて言葉の通じない文化の異なる外国で暮らす彼女の心情をどうして理解してあげないのだろうと思いました。その母親に自身や息子は(フィリピンの言語の)タガログ語かせめて英語は勉強しているのか尋ねたところ、「どうして自分達がわざわざ外国語を学ばねばならないのか」、「日本に来たのだから息子の嫁が日本社会に合うよう努力するべきだ」と言われました。
外国人女性と結婚した日本人男性やその家族にはこのような発想を持っている人がよくいます。結婚したために慣れない異文化の国に単身来た女性の苦労や心情を想像して、少しでも理解し合い協力し合うのが家族なのではないでしょうか。自分たちも彼女の母語やせめて英語を話す努力をどうしてしないのか、日本に来た外国人だけが一方的に言語習得の苦労を担わなければならないという姿勢はアンフェアではないかとその母親に疑問を投げかけたりしました。
日本人側の言語負担の勧め
看護士・介護福祉士の受け入れについても同様です。患者や現場の同僚は日本人だからと、全て外国人側が言語(日本語)習得という重荷を負うのではなく、日本人側も努力してはどうでしょうか。
余裕のない患者はともかく、現場の同僚は難しい日本語表現の部分や書類・メモの受け渡しなど漢字表記を伴うようなコミュニケーションは英語を使ったり併記するとかいろいろと工夫できることはあるのではないでしょうか。会話まではできないにしても単語レベルなら、受験英語を経験している日本人なら少し努力すればかなりの助けになるはずです。
世界の共通語である英語でコミュニケーションができない日本人に合わせるよう、言語負担を全て外国人に負担させるのはフェアではないと感じます。日本社会のために家族と離れて来てくれる看護士・介護福祉士たちへの感謝の気持ちを持ち、お互いが努力することが大切だと思うのです。
新見康之(にいみ やすゆき)
「フィリピン看護士・介護福祉士は来てくれるのか」
2008・3月「海外の日本語教育紹介ブログ!」より抜粋
三行要約
「郷に入れば郷に従え」にしたがって、息子に来た外国人妻の母国語使用を嫌がって、日本語を強要する姑、巷に多々あり。
フィリピン人看護士、介護士導入にあたっても、日本語を強要する風潮あり。
日本人だって、もっと相手の国のことばを勉強して、歩み寄ったらどうなのさ、遠い外国から心細い思いで来てくださってるんだから。
フィリピンから介護福祉士をめざしてやってくるはずの「就学コース」の学生さんが、今年は定員枠の50名を下回る30名にとどまったことが朝日新聞9月4日付けのニュースに載っていました。
「就学コース」だからバイトが週28時間と制限されている上、学費を自分である程度負担しなければいけないのが、その原因だそうです。
一方病院などで働きながら資格を取る「就労コース」のフィリピン学生さんも、450人の枠のうち、283人にとどまったそうですが、こちらは主に、日本語習得および国家試験の難しさに、敬遠の原因があるということです。
この文脈の「フィリピン」を「アメリカ」もしくは「ドイツ」「フランス」に変えて見て読んだら、どうでしょう。
姑はフランス人嫁にも、日本語を強要するでしょうか。
では次は、「日本からフィリピンに介護資格を取りに行く」日本人女性を想像してください。タガログ語習得して、タガログ語、もしくは英語で国家試験にパス、それも三年以内の条件付で。
私、語学好きだから、タガログ語習得には燃えるかもしれないけど、国家試験なんて~・・・・ちょっと自信ないです。
せめて、介護される場合を想定して、今からタガログ語を勉強しておこうかな。「背中の右側、掻いてください」「ちょっと漏らしてしまいましたので、取り替えてください」「ご飯はこころもち多め、おかずは少しでいいです」「今日はディの折り紙講座、休みたいですがいいですか」「カラオケには行きます」とか。