ことば咀嚼日記

日々読んだ活字を自分の頭でムシャクシャ、時にはゴックン、時には、サクサク咀嚼する日記

魔女のパンと男と女

2010-02-04 | 日記
ものすごく久しぶりに、O・ヘンリーの短編を読んで、これはこんなに面白かったのか、と感心し、すぐアマゾンに短編集を注文してしまった。

今日使ったテキストは「魔女のパン」という話だった。
パン屋のミス・マーサと「貧しい」絵描きの男という組み合わせだが、最後に意外な結末を迎えるあらすじはさておき、ここに出てくる「パン」という素材に注目したい。

「パン」に含まれる様々な意味が、作品に深みを与えているのに前は気づかなかった。
欧米の小説でパンが出てくると、一番先に連想するのは、聖餐式でキリストの体として使われるパンかな。またロビンソン・クルーソーが孤島で小麦から栽培して初めてパン作りに成功したときが、私はこの話のクライマックスだと思っている。何せ、パンが食卓に上るということは、「主、我とともにあり・インマヌエル」ということだからね。「魔女の宅急便」のキキもまずパン屋に住み込んで修行するんだっけ。

パンをこしらえるのは男性であっても女性であっても、人間の基本的な主食であるパンというだけで、店主は顧客のすべてを握っている感じがする。
日本の場合は、パンはまだ副食・おやつのイメージが強いのでそれほどでもないだろうが。

「魔女のパン」では、パンの取り扱い方をめぐって、女性と男性との決定的な違いが描かれている。パンを使って、またそれにバターをたっぷりはさみこむことによって、男性のすべてを取り込もうとする女性と、その行為に対してかんかんに怒り出す男性。それにはもっともな理由があるのだが、表面的な理由だけではなく、自分の聖なる領域を、パンにはさまれた余計なバターで汚された場合の男性の怒りがぶつけられていておもしろい。

結婚して、バターつきのパンをおいしそうに食べる世間の夫は、もう取り込まれてしまっているのか、などと想像してしまった。