ことば咀嚼日記

日々読んだ活字を自分の頭でムシャクシャ、時にはゴックン、時には、サクサク咀嚼する日記

ハローキティ45周年

2019-02-14 | 日記
今年はハローキティが生まれて45年。いつもそばにさりげなく、あまねく、やさしくいてくれたキャラとして、キティには他のキャラにはない懐かしみと言うか親しみと言うか可愛さというか、とにかく私の中では別格の存在だ。

昨年キティチャンネルというユーチューブができて、それがたまたま私の誕生日だったこともあり、ずっと見ているが、これが想像以上に良くできている。サンリオが社運をかけて、次世代のキャラとしてキティを残そうとしていることが伝わってくる。

子供向けの内容かと思いきや、実は昔キティが好きだった、そして今でも好きな大人向けの内容であり、しかし子供も楽しんで見られるものになっている。興味のある方はハローキティチャンネルに行ってみて下さい。高校社会科以上のレベルのものもある。キティちゃんの当意即妙な会話も楽しめる。たとえば視聴者からの質問で「キティちゃんは、サンリオピューロランドで見たときは、もっと背が高かったのですが、どうしてリンゴ3個分なんですか」という質問に、ちょっと首をかしげて考えて「リンゴにもいろいろあるでしょ?」と答えていた。なるほど、そうだな、と納得してしまうのがキャラの面白さ。

考えてみればキティのようなキャラクターはすべてバーチャルであり、人間が頭の中で作り出したものに過ぎない。それをわかっていながら、それを見て、微笑んだり、癒されたり、可愛く思うのは、人間が自分で自分をいとおしんでいるのだろうか。それに比べて自然は、どんなにきれいな花でも、生命力の強さとしたたかさを含んでおり、それと向き合うときは対峙するという言葉が必要だ。対峙する必要のないキティちゃんのような存在があってもいいと思う。

そして5年後の50才のキティちゃんをぜひ見てみたい。