三浦綾子さんの『道ありき』を久しぶりに読み返しました。
読み落としていたところ、忘れていたところなども含めて、こんな面白い本だったのかと新鮮な気持ちで読めました。
一千万円懸賞小説として有名になった三浦さんの『氷点』は、選者の一人であった、松本清張氏が強く推しただけあって、文体が氏の書く物によく似ています。
簡潔で、無駄のない、写実的な文章です。それは、『道ありき』の中に数多く出てくる著者の短歌(若き日、三浦さんはアララギ派の歌人でもありました)が甘さがなく、ある意味冷徹な目で病床にあった自分の心を淡々と詠んでいることからもわかります。
今回初めて発見したこととして、タイトルの意味についての大きな気づきがありました。ここで「道ありき」の「道」とは、著者の歩んできた道という意味だと思っていました。なぜかというと、本の冒頭にこうありました。
「私はこの中で自分の心の歴史を書いて見たいと思う。ある人は言った。「女には精神的な生活がない」と。果たしてそうであろうか。・・・」
しかし今回読み通してこの「道」とは、イエス・キリストの言葉「われは道なり、真理(まこと)なり、生命(いのち)なり」(ヨハネによる福音書14章6節)からとられたものであって、イエス・キリストの歩んだ道だったことに気がつきました。本の扉の裏側に最初にこの聖句が記されていたことも見逃していました。そしてこの本はその「道」を一人ひとりがどのように歩んだかについても、とりわけ三浦さんに強い影響を与えた一人の死者の生涯についても語っています。
死者とは三浦さんの最初の恋人であった前川正さんです。前川さんは結核の療養むなしく35歳で亡くなるのですが、イメージとしては強い、明るい、ユーモアたっぷりの男性です。昔読んだときには、あまりの立派さにちょっと畏れ多い理想的クリスチャンのイメージを抱いていたのですが、今回読んでみて、かなりイメージが変わりました。悩みにありつつも、ユーモアにあふれた面白い男性だったのです。この人は綾子さんの将来を考えて、自分の死を見越して先々まで「道」を示してくれた人です。
前川さんが、綾子さんあてに書いた手紙の中にこんな文章があります。
「生きることは苦しく、謎に満ちています」
聖書の中にも「神の秘儀」という言葉が出てきます。「秘儀」の英語訳はミステリーです。前川さんにとっても生きるということはミステリーだったのだということがわかります。私も、聖書を読めば読むほど、人生に照らし合わせてわからないことばかりです。まさにミステリー。しかし、今朝読んだ「箴言」3章の中にこんな言葉を見つけました。ミステリーに際したときの処方箋といってもいいでしょう。
心を尽くして主に信頼し、自分の分別には頼らず、常に主を覚えてあなたの道を歩け。
そうすれば
主はあなたの道をまっすぐにしてくださる。
自分自身を知恵ある者と見るな。
主を畏れ、悪を避けよ。
そうすれば、あなたの筋肉は柔軟になり
あなたの骨は潤されるであろう。
ここにも主の「道」と「あなたの道」についての記述がありました。そして自分の分別にたよらず、主の道を捜し求めよというメッセージを聞くことができました。私が自分で考えた「道」に行き詰ったときにこそ、主の道が鮮やかに示されるという経験をこれまで何度もしました。これはまったく思いもよらない道です。
人がよく「道に行き詰まった」というときの行き詰まる「道」は、主の道に行く着くまでのことなのかもしれません。
読み落としていたところ、忘れていたところなども含めて、こんな面白い本だったのかと新鮮な気持ちで読めました。
一千万円懸賞小説として有名になった三浦さんの『氷点』は、選者の一人であった、松本清張氏が強く推しただけあって、文体が氏の書く物によく似ています。
簡潔で、無駄のない、写実的な文章です。それは、『道ありき』の中に数多く出てくる著者の短歌(若き日、三浦さんはアララギ派の歌人でもありました)が甘さがなく、ある意味冷徹な目で病床にあった自分の心を淡々と詠んでいることからもわかります。
今回初めて発見したこととして、タイトルの意味についての大きな気づきがありました。ここで「道ありき」の「道」とは、著者の歩んできた道という意味だと思っていました。なぜかというと、本の冒頭にこうありました。
「私はこの中で自分の心の歴史を書いて見たいと思う。ある人は言った。「女には精神的な生活がない」と。果たしてそうであろうか。・・・」
しかし今回読み通してこの「道」とは、イエス・キリストの言葉「われは道なり、真理(まこと)なり、生命(いのち)なり」(ヨハネによる福音書14章6節)からとられたものであって、イエス・キリストの歩んだ道だったことに気がつきました。本の扉の裏側に最初にこの聖句が記されていたことも見逃していました。そしてこの本はその「道」を一人ひとりがどのように歩んだかについても、とりわけ三浦さんに強い影響を与えた一人の死者の生涯についても語っています。
死者とは三浦さんの最初の恋人であった前川正さんです。前川さんは結核の療養むなしく35歳で亡くなるのですが、イメージとしては強い、明るい、ユーモアたっぷりの男性です。昔読んだときには、あまりの立派さにちょっと畏れ多い理想的クリスチャンのイメージを抱いていたのですが、今回読んでみて、かなりイメージが変わりました。悩みにありつつも、ユーモアにあふれた面白い男性だったのです。この人は綾子さんの将来を考えて、自分の死を見越して先々まで「道」を示してくれた人です。
前川さんが、綾子さんあてに書いた手紙の中にこんな文章があります。
「生きることは苦しく、謎に満ちています」
聖書の中にも「神の秘儀」という言葉が出てきます。「秘儀」の英語訳はミステリーです。前川さんにとっても生きるということはミステリーだったのだということがわかります。私も、聖書を読めば読むほど、人生に照らし合わせてわからないことばかりです。まさにミステリー。しかし、今朝読んだ「箴言」3章の中にこんな言葉を見つけました。ミステリーに際したときの処方箋といってもいいでしょう。
心を尽くして主に信頼し、自分の分別には頼らず、常に主を覚えてあなたの道を歩け。
そうすれば
主はあなたの道をまっすぐにしてくださる。
自分自身を知恵ある者と見るな。
主を畏れ、悪を避けよ。
そうすれば、あなたの筋肉は柔軟になり
あなたの骨は潤されるであろう。
ここにも主の「道」と「あなたの道」についての記述がありました。そして自分の分別にたよらず、主の道を捜し求めよというメッセージを聞くことができました。私が自分で考えた「道」に行き詰ったときにこそ、主の道が鮮やかに示されるという経験をこれまで何度もしました。これはまったく思いもよらない道です。
人がよく「道に行き詰まった」というときの行き詰まる「道」は、主の道に行く着くまでのことなのかもしれません。