ことば咀嚼日記

日々読んだ活字を自分の頭でムシャクシャ、時にはゴックン、時には、サクサク咀嚼する日記

新潟 米どころ

2011-05-05 | 日記
ちょうど1週間のお休みが終わりました。
新潟では日本の故郷と言ってよいほどの、美しい水田をたくさん見ました。
まだまだ寒くて、田植えまえではありましたが、田んぼに水が入っているところも見ました。

十日町でへぎそばと山菜てんぷらセットをいただきました。
お店にはまだストーブが入っていて、3人家族の地元のお客さんが「へぎ5合とてんぷら盛り合わせ2皿!」と注文していました。
次に来る時、あんな感じで注文したらカッコイイし、合理的です。
大好きなお米とお米を使ったどぶろく饅頭やお米せんべいを食べ過ぎて、おなかが苦しくなりました。米からできた食べ物が豊富で、米大好き人間にはよいところです。

ちょうど中国から黄砂も来ていて、日本海が煙っていましたが、佐渡島の島影はちゃんと見られて、よかったです。
芭蕉が詠んだ「荒海や佐渡に横たふ天の川」の日も、弟子の随行日記によると、実際には雨だったそうです。あれは芭蕉の心象風景ですね。

最後の日に、上杉謙信の城跡がある春日山に上りました。
大きな城だったので、本丸までたどり着く前に、三の丸で私だけ休んでいました。
誰もいなくなった三の丸の切り株に腰掛けてボーとしていると、立て札があり、そこには、

「三の丸 上杉三郎景虎屋敷跡 景虎は小田原から人質としてこの城にやってきたが、たいそうな美男子として有名、最近では「炎の蜃気楼」というドラマの主人公にも採用された」と書いてありました。
やっぱりね・・・なんか惹かれる場所でした。私も目を閉じて、景虎さんの心象風景を心に留めました。若き日のジュリーが思い浮かびました。

何とか下山して、ふもとの蕎麦屋で謙信蕎麦を食べました。
隣のおじさんが「信玄そばください」と言っていて、それを聞いたまた隣のおじさんが「え~!ここは謙信なのに、なんで信玄そば?」と叫んでいましたが、でてきたものは皆、同じでした。
帰りのバスの中で、夫も「信玄の城はでかかったなあ」とつぶやき、「謙信の城」と訂正しました。

私は、信玄→山梨桔梗屋の信玄餅、と体で覚えているので、信玄と謙信を間違えることは決してありませんが、「謙信って風林火山の人だよね」と言って、笑われました。
風林火山は信玄で、謙信は「毘」です。ここは親鸞さんが布教した浄土真宗の地なのに、謙信は護摩焚きなんかしていて、密教の悪魔の神様「毘沙門天」に傾倒していたそうです。売店で、「毘」と書いた布をはった戦陣旗が400円で売っていました。
景気づけに一本買おうとしましたが、旗の柄の部分が、虫取り網のような軽い竹だったので買う気が失せました。

謙信 →「毘」    新潟米どころ どぶろく饅頭
信玄 →「風林火山」 甲州桔梗屋 信玄餅

と、手帳にしっかり整理して覚えました。
川中島というところで、何回か合戦して、一生を過ごした人たちということです。