ことば咀嚼日記

日々読んだ活字を自分の頭でムシャクシャ、時にはゴックン、時には、サクサク咀嚼する日記

パリ20区

2010-07-30 | 日記
『パリ20区、僕たちのクラス』を見た。
予想していたのとは違ったが、これはとてもよかった。

まず、ドキュメンタリーではなかった。
ジーンとくる青春物ではなかった。
まして人情物でもなかった。
「静かにしなさい」のフランス語が、私の考えていたのでは全然なかった。

「アンネの日記」のフランス語朗読も聞けるし、動詞の活用説明も黒板で見られるし、語学好きには良い映画だが、勉強の内容に教師が入ろうとするところで、子供たちの質問がそれ以前のところに集中し、そして教師はその質問をそらすことなく、絶え間なく問答が続き、見ているコチラは、字幕を追うのに必死になる。
その問答があまりに緊迫しているので、見ているうちに自分が教師の立場になって必死に答えを考えているのだ。
一体どちらが先生か学生か、学生か先生か、分からなくなるぐらいの緊迫感が1時間ほど続いたところで、突然音声が途切れ、字幕だけになった。

音声が途切れたところは、ちょうど教師が学生に取り囲まれて追い詰められるところで、それまですべて言葉で返していたこの真面目な先生が「もういい」と一人群れから離れてすたすた歩き出すところだった。

音声が途切れたのは映画館の音声トラブルのためだったが、私はここで途切れてなんだかホッとしたのも事実。
日本人にはたえられないだろう議論の連続、問答の連続だったから。黙り込むとか、拗ねるとか、無視するとか、まして以心伝心などとはかけ離れた言葉の応酬の世界。これは凄い。疲れるが、一方私の理想とするひとつのコミュニケーションの在り方である。職員会議も校長が司会はするが、先生全員がひとつのテーブルに座って、自分の考えていることをそれぞれ言い合う。上意下達の日本では考えられないやり方で進んでいく。日本社会では、上司の考え方や気分に振り回されることが多い。言葉で伝えることよりも雰囲気を読めという社会の持つ、うっとおしさというものはここにはない。それがない分、別の緊迫感に満ちているが。とにかく、自分の気持ちや考えを言葉で、できるだけ明晰に表現しなければいけない。

パリに初めて着いた日の夕方、空港からのバスに乗って町を見ていると、最初に荒れた感じの、大きい駅が現れて、それがパリ北駅だった。歩いている人のなかには一目でアフリカ系移民らしい人も多く見かけた。パリ20区は雰囲気が似ているが、そのあたりなのだろうか。
過去の植民地の矛盾を、完璧ではないが一人の先生が誠実に一生懸命、対話を通して、言葉で解き明かそうとしている、フランスという国のある種の偉大さを感じた映画だった。