ことば咀嚼日記

日々読んだ活字を自分の頭でムシャクシャ、時にはゴックン、時には、サクサク咀嚼する日記

思い出したこと

2010-08-02 | 日記
マンションに子供を残したままいなくなった23歳の女性のことが、いろいろ取りざたされている。
赤ちゃんポストが、大阪にあれば、とにかく、子供が助かったのに、と私は残念でならない。
赤ちゃんポストはこの事件の本質とははなれているかもしれないが。赤ちゃんポストに子供を置いてくるのも気力がいる。母親にはそれよりももっともっと深い人生に対する絶望感や誰にも助けを求められない孤立感があったのだと思う。

赤ちゃんポストが導入された頃、その是非を巡って学生たちと話したことがあった。ある男子学生は
赤ちゃんだけでなく、3歳の子がそこに入れられていたニュースを取り上げて、「3歳なんてもう物心がついて自分のことを覚えているのに、そんなところに自分が捨てられていたと知ったら、どうなるのか。絶対反対だ」と主張していたのを思い出す。

その学生は、小さい頃に両親が離婚していたが、父親の故郷で祖父母や、姉に囲まれて、また近所の人にも親切にしてもらったようで、卒業の時の作文は、自分が育った故郷の山や母親代わりの姉についての感謝を表す内容だった。

授業中は、声も体も大きいその学生の周りに勉強をしたくない学生が何人か集まって、際どいジョークを発したり、男子中学生のようなセクシュアルギャグを飛ばしたりしていて、あまりのひどさに、一時別の先生の時間の時に、停学処分にもなった。私の時にもよく際どい一言を言って、クラスの女子の顰蹙を買っていたが、「ギャグでなく、自分の五感で経験した実体験があれば、みんなのためになるので、差し支えない限り、ぜひ次回話してほしい」と言った。
そして毎回授業の最初に、「今日は〇〇君の体験から話してもらいたいと思います」と言うことにしたら、「それが教師の言うことか」とつぶやいて、それ以来、際どい台詞はなくなった。私としては本当に、自分の五感で感じた体験で、人と分かち合えるものなら、それを表現することで、必ず自分にも相手にも益があるはずだから、真面目に言ったのである。

〇〇君は、セクシュアルギャグを飛ばさなくなった代わりに、寝ることが多くなってしまったので、どちらがよかったのか分からない。