ちょっと寄り道しましたが、退職後の夏休みのことを書いていきます。
語学学習アプリを通じて、ある中国人大学院生と友達になりました。彼女は中国の中でも超一流大の大学院生で、日本の歴史や文学を研究しています。
(現在は日本に留学中です)
住む世界が違うような人と友達になれたのは本当に貴重な経験でした。
ひょんなことから、彼女の翻訳試験の手伝いをすることになりました。
彼女が日本語に訳した文章を私がネイティブチェックするのですが、あまりにも正確でクセのない日本語に度肝を抜かれたことを覚えています。
(日本語教師の経験から見ても、彼女の日本語力は驚異的です)
他にも、彼女の論文やレポート(日本の歴史や文化、文学)も添削しました。
正直言って、一般的な日本人よりも上手い文章でした。中国人が書いたとはとても思えません。
私も日本人のプライドにかけて、辞書片手にめちゃくちゃ厳しくチェックしていましたね。
日本人なのに辞書で調べながら日本語を読むって、なんかすごいなと思います。
しまいには古典文学の現代語訳までやるようになり、どんどん難解な文章に取り組むようになりました。
1章訳すのに2人で3時間。日本人のプライドにかけて、(2度目)古語の意味や情景をわかりやすく解説もしました。まさに根気との戦いで…時間に余裕がないととてもとてもできません。
その時の私は専属の家庭教師でした。いくら日本人と言えども、専門的な論文や古語まで添削したり解説するのは至難の業です。でも、少しでも彼女の役に立ちたくて頑張りました。
そんな私のことを彼女は心から尊敬し、感謝してくれました。
私よりも遥かに頭が良くて将来有望な彼女から尊敬されるのは、何とも言えない不思議な感覚でしたね。
正直、扱う文章が難しすぎてお手伝いの枠を遥かに越えていたんですが、大変さより、私の中に眠るアカデミックな部分が刺激される喜びの方が大きかったと思います。
論文と向き合う度、大学で勉強していた日々を思い出しました。
過去の栄光だったはずの私の記憶が蘇り、彼女を通して自信を取り戻すことができたと思います。
それは今も、私から放たれているであろう謎のオーラの一部となっている気がします。