〘 … ◆バッハは保守的な作曲家だった
バッハの生まれた年は1685年、音楽史的にはバロック時代のちょうど真ん中です。バロック時代の前は、数百年間続いたルネッサンス時代があり、今のような伴奏+旋律という形は主流ではなく、旋律がいくつも重なった形が主流でした。1600年頃に楽器の著しい進化があったり、オペラが登場したり、といったことがあり、ルネッサンス時代は終わりを告げ、バロック時代となります。
華やかで優美な旋律と、それを支える伴奏という形がバロック時代の特徴ですが、バッハの「インベンション」には、そのような印象を抱くことは少ないでしょう。
どちらかといえば、バッハの音楽、少なくとも「インベンション」は1600年以前のルネッサンス音楽に近い趣きがあります。
バロック音楽の次の時代、古典派音楽に関しては、バッハではなく、その息子であるカール・フィリップ・エマニュエル・バッハの功績のほうがよほど大きいでしょう。
バッハにはなんとなくお堅いイメージがある方も多いかと思いますが、保守的という点においてはそれほど間違っていないのかもしれません。… 〙
〘 音楽は人間の感情を表現する芸術である――こう言うと、誰もが「そんなのは当たり前だ」と思うのではないだろうか。
しかし、音楽史をひもとくと、音楽で人間の喜怒哀楽を表現するようになったのは近代以降のこと。それまでは、音楽は神に奉納するものであって、人間が聴いて楽しむためのものではなかったという。
では、いつ、どのようにして、音楽が人間の感情を表現するようになったか。岡田暁生さんと片山杜秀さんの対談本『ごまかさないクラシック音楽』(新潮選書)から、一部を再編集してお届けしよう。
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岡田:クラシック音楽の歴史は、音楽が世俗化ないし感覚化していく歴史だったと見ることができます。もともと宗教的メディテーションから始まったものが、次第に生身の人間が聴いて楽しんだり、感動するものになり始めた。少しずつ少しずつ宗教から離れて、芸術家の個性が出てきた。
片山:個性が出てくる前というのは、どういう段階を踏むということに?
岡田:中世の音楽のイメージは、端的に言って「異界からの音楽」です。「この世ならぬもの」が響いてくるような音楽。ところがルネサンスになってくると、普通の意味で「きれい」な音楽になり始める。ジョスカン・デ・プレはルネサンス最大の作曲家といっていいでしょうが、彼の合唱曲は本当に美しい。人間が地上で楽しめる。ジョスカンは盛期ルネサンス、つまり15世紀の人でした。… 〙