シューベルト:ます ❲D550❳
スミ・ジョー(ソプラノ),他
"Nessuno comprende il dolore dell'altro, e nessuno la gioia dell'altro".
— Punto Lettura (@Antonio79B) November 18, 2023
Oggi nel 1828 moriva il compositore #FranzSchubert.#19novembre. pic.twitter.com/996HnnVBwe
Google によるイタリア語(投稿原文)からの翻訳
「誰も相手の痛みを理解できず、誰も相手の喜びを理解できない」
… … … … … …
私達(脳🧠を持った生物)は、自らの意識の世界の中で生きています。
私達は、五感によって、外界(や自身の身体内)の情報を受容し、それを、神経が脳🧠に伝えて知覚・認識します。
その情報は、経験と言い換えることもできるかもしれませんが、
何かの情報を外界から知覚・認識したときに、何らかの意識・精神作用が発生し、かつ、それを記憶する過程で、心という機能が、脳内🧠にできあがってきた…という内容の脳科学の本📚️を立ち読みしたことがあります。
いずれにしても、各々が、各々の脳内🧠の意識の世界の中で生きている以上、
その(物理的に別々な)脳内🧠の中にある意識が、完全に一致するということは、科学的・物理的に、あり得ません。
では、どうしているのかといえば、人間は、相互に、各々の意識を近づけていって、ある一定以上近づいたときに、共通認識として、各々の脳内🧠の意識が、認識するのだと思います。
限りなく近づけられれば、近づけられるほど、心が通じあったと錯覚するのだと思います。
こうゆう書き方をすると、批判も出そうですが、言葉というのは、必ずしも、物事を(科学的・合理的・客観的に)正確に表現できるわけではないと思います。
錯覚というのは、人間が作った言葉で、
物理的に別々の複数の人間の脳内🧠の意識が完全に一致した…と錯覚する…という意味で使っています。
上でも書きましたが(物理的に別々の複数の)人間の脳内🧠の意識が完全に一致するということは、科学的・物理的には、あり得ません。
「その科学的・物理的にあり得ないことが起こった」という心理状態は、錯覚と表現しても、誤りではないと思います。
たしかに、こんな、にべもない言い方をすれば、心ない奴と、誤解されかねませんが、
ポイントは、「限りなく」というところではないかと思います。
昔、高校の数学で「限りなく近づけていく」とか説明があって「極限」という概念や数式やグラフなどを学びましたね…
さらに、微分・積分を学ぶわけですが…
限りなく近づけられれば、近づけられるほど、心が通じあったと認識するとすれば、各々の脳内🧠で、そうゆう認識・現象が起きていること自体は、科学的にも、何ら否定されないのだから、それでよいのではないか!?…ということです。
なまじ「完全に一致する」などと、科学的・物理的にあり得ない(つまり不可能なこと)を目指すから、いろんな軋轢や問題が生じるのであって、
そもそも、はじめから、完全に一致することは、科学的・物理的にあり得ない、
だからこそ、人間は、相互に、意識を近づけていく努力をしないと上手くいかないし、最悪、争い事になり、争い事の最たるものは…おわかりになるかと思います…
この世に、この地球上に 🌏️ 🌎️ 🌍️ 自分とは違う存在がいたり、自分が見たことも聞いたこともない世界や風景や景色や生活や文化がある、それを見聞・経験するときには、わくわくドキドキして、好奇心が刺激・みたされないでしょうか?
そのときだけ、なぜだかよくわかりませんが、漠然とした不安から解放されないでしょうか?
何か新しいことがはじまるような予感がするとき、
何か新しいことを追求・創造しているとき、
もちろん、それを積み重ねていこうとしているときも含めて、
(おそらくは、有限の人生であることの怖さと虚しさを、一時的に忘れているがゆえに)漠然とした不安から解放されるのだと思います。
ニーベルングの指輪で、ヴォータンのような、この世で最強の支配者ですら、漠然とした不安を抱いていますが、
何も恐れず、生意気な口をきいて、自らに突っかかってぶつかってくる孫のジークフリートと、やりあってるときは、生き生きとしています。
以前(数年前に)どこかに、その点について触れている記事を載せたブログを作った記憶がありますが、
ジークフリートという恐れを知らない、頑強でガムシャラな若者が行動すると、悪役・敵役ですら、みんな目覚めて、生き生きとしてきます。
私も、ニーベルングの指輪に限らず、音楽を聴いているときに、一時的にせよ、恐れを忘れて、永遠不変的な錯覚に浸っています…
錯覚でもいいです。
その瞬間は、確かに、永遠不変を(私の脳内🧠で)感じているわけですから…
〘 港北公会堂で11月18日(土)、第65回大倉山ジョイフルコンサート「珠玉の室内楽〜清々しく綾なす響きシューベルトの『鱒』を聴く〜」が開催される。主催は大倉山ジョイフルコンサート実行委員会、後援は港北区役所。
篠原悠那さん(バイオリン)、冨永悠紀子さん(ビオラ)、荒井結さん(チェロ)、岡本潤さん(コントラバス)、青島周平さん(ピアノ)が演奏する。曲目は、ヴォーン・ウィリアムズ の ピアノ五重奏曲 ハ短調、F.シューベルト の ピアノ五重奏曲 イ長調 D667「鱒」など。
午後2時開演(午後1時半受付開始)。大人2000円、高校生以下1000円、未就学児は入場不可。料金は当日受付で支払いを。要予約で、11月17日午後5時まで予約を受け付けている。予約は、【携帯電話】080・8424・5108または、大倉山ジョイフルコンサートのホームページ
の「予約受付」へ。〙
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます