腹ごなしに散歩。
蛸壺。新たまねぎを乾していました。
いたるところ、民家の壁や、時には自動車の車体に、このようなマークが。
最初は落書きかとも思ったのですが、地域の団結のしるしらしいです。
そうそう、答志島は寝や子制が残っているらしいですね。
西行法師の歌碑、柿本人麻呂の歌碑を見て、八幡神社へ。
西行法師の歌碑。
「ささしまの 小石の白を 高波の
答志の浜に うち寄せてける」
八幡神社への橋。その袂に柿本人麻呂の歌碑があります。
「釧著く 答志の崎に けふもかも
大宮人の 玉藻刈り羅む」
鳥居の並ぶ階段を昇って神社に到着です。
ほんとうはそこから歩いて九鬼喜隆の首塚・胴塚を見に行って、
そのまま和具港から帰るつもりだったのですが…。
港の前にある、佃煮屋さんです。
きたはここでお土産を買っていました。
港には船を待つ老人が。
このカート、島の老人みんな持っているようです。
名前なんて言ったっけ・・・
結局、答志港から帰ってきました。
でも、たのしい船旅でした。
さて、この後どうするかな?
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます