カトリック菊池教会 


毎週の福音書と典礼にそって人生の素ばらしさを探る一言
菊池教会の電話:0968-25-2381

「今週の公教要理の錠剤」36

2012年07月26日 | メッセージ(その他)
B 年 年間第十七主日     2012・7・29
 「カトリック教会の教え」から
「癒しをもたらす秘跡―病者の秘跡」
教会のとても重要な役割は、人に神様の心と体の癒しをもたらすことです。イエス様の共同体はいろんな方法で信徒だけではなく、困っている人、苦しんでいる人の癒しを求めてきました。その癒しの方法は、まず、人の痛みをそのままに耳を傾けることです。それに自分の時間、才能、財産などを奉献することによって、人の苦しみをやわらげるのは、教会の共同体のもっとも人の救いを求める道徳的なイエス様の言葉に従う方法です。なぜなら基本的にイエス様の教会は、全面的に人の苦しみを癒す目的と権利を持っています。病者の秘跡とは、心と体の癒しの独特な印であり、それを通して教会は病気の人の心と体のやすらぎを求め与えています。そして病者の秘跡の中で、オリーブ油はシンボルとして使われています。昔から、体のけがや傷の上に油を注ぐことによって、直しています。傷んでいるところがあれば油を塗ることで癒される経験に基づいて、油は病者の秘跡の象徴的な印になりました。病者の秘跡の時に、油を体に塗られた者は悪への戦いの為に支えられていて、傷ついた心、苦しんでいる体も癒されるようになっています。例えば、素直に病気を受け入れられない時、そのために神様にも人にも反感を持つことはたしかに心の深い傷であり、病者の秘跡によって慰められ、癒されるように神様の助けを願っています。苦しみに落ち入った者は神様や人をも赦せない場合があります。その時、聖なるオリーブ油の秘跡を受けた者は神様の恵みによって癒され、悪い思いから解放されて、罪も赦され、神様の救いを経験することになっています。体の苦しみはよく心の苦しみを伴っています。心の癒しは、場合によって体の全面的な癒やしにもつながっています。教会は病者の秘跡の儀式によって、その母のような愛と深い憐れみを、弱い子らである信徒に示しています。    
                            モヨリ神父

「今週の公教要理の錠剤」35 

2012年07月19日 | メッセージ(その他)
B 年 年間第十六主日          2012・7・22
  「カトリック教会の教え」から
「癒しをもたらす秘跡 ― 赦しの秘跡」
洗礼を受けることによって、罪は全て赦されます。ミサにつまり感謝の祭儀に参加した時に、その中でイエス様の言葉を素直に受け入れることにすれば、以前犯した罪は全て赦されます。キリスト信者はイエス様の呼びかけによって、イエス様の言葉を受け入れることによって絶えず自分の人生を振り返り、反省して心の回心を続けています。このようにしてキリスト信者は自分の弱さ、出来なかったこと、怠ったこと、十分に愛さなかったことを実感して神様の赦しを求めています。その時キリスト信者は赦しの秘跡を通して神様の赦しと同時に隣人からの赦しを求めています。神様の赦しと人の赦しによって、人と神様への和解の心を持って、心の平和が取り戻されます。そして、より大きな愛で赦された人はその愛の力で、新しい人生を送ることもできます。その大きな愛の中で神様も人々も迎え入れることが出来ます。実際に赦してくださるのは神様ご自身ですが、赦しの秘跡の中で司祭は神様の立場に立って、神様の姿として、神様から与えられた権威を持ってキリスト信者に神様の愛とその赦しと癒しを伝えています。秘跡の構造は次の通りです。個人的に神父の所に赦しの秘跡をいただく為に行かれた場合、お互いの挨拶が済んでから、キリスト信者は罪の告白をします。それを聞いた神父は助言を述べてから、償いの祈りを勧めます。その後キリスト信者は痛悔の祈りを唱えます。次に神父から祝福の印によって教会の典礼に勧められた特別な言葉を述べながら全ての罪を赦します。最後に、神父からの励ましの言葉にキリスト信者が感謝の心を表して、赦しの秘跡の典礼が終わります。このように赦されたキリスト信者は、神様と教会へも周囲にいる者たちにも和解と心の平和を取り戻します。
                        モヨリ神父

「今週の公教要理の錠剤」34

2012年07月12日 | メッセージ(その他)
B 年 年間第十五主日     2012・7・15
 「カトリック教会の教え」から
「感謝の祭儀―ミサ」
キリスト信者は毎週参加するミサに、いくつかの方法で呼ばれています。ミサと言うのは(missio)と言うラテン語のことばから発生しています。意味は派遣、つまり送りこむことです。つまりミサ「儀式」が終わってこれから社会の中で日常生活が始まる所に、キリスト信者は福音書の中にあるイエス様のみ言葉から送りこまれて、そこにイエス様の体を顕示しながら、出会う人と命のパン、生きる言葉を分かち合います。それにミサは感謝の祭儀とも呼ばれています。キリスト信者はまず神様から頂いた恵み、頂いた命、イエス様を通して頂いた救いの為に感謝します。それぞれ皆が自分の人生を振り返ると、確かに自分の欠点が赦されたこと、いろんな時に指導されたこと、支えられたことに思い至り、心を込めて感謝を表すようになります。ミサは教会の信者皆の行う儀式であり、儀式の時に全世界全体の教会がその中に参加して含まれています。ミサの参加者が大勢の時には荘厳な中で全世界のイエス様の教会を表すようになります。感謝の祭儀の構造は略して次の通りです。
―開祭、入祭、回心の祈りー言葉の典礼、聖書の朗読と説教、―感謝の典礼、奉納、奉献文、聖体拝領、-閉祭、派遣の祝福。
そしてキリスト信者は洗礼を受けてから出来るだけ毎週の日曜日、つまりイエス様のご復活を祝う「主の始めの日」ミサに参加して、典礼の流れに沿って自分の心の思いを合わせて神様に祈り、共同体と一体となり、大きな喜びを味わいながら、場合によっては辛い日常生活の為に大きな力と支えを得られます。感謝の祭儀の中で欠かせない頂点が二つあります。それは神様の言葉としてイエス様を知る、受け入れ、愛することです。次はイエス様の体を記念するパンとブドウ酒をいただいて、それを共同体と心と人生を分かち合うことです。
                                                   モヨリ神父

「今週の公教要理の錠剤」33

2012年07月05日 | 神父様からメッセージ(C年)
B 年 年間第十四主日       2012・7・8
 「カトリック教会の教え」から
「入信の秘跡―堅信」
洗礼と聖体と一緒に、堅信も入信の秘跡に属しています。実は堅信は洗礼式の意味にも密接に結ばれて、神様が秘められた方法で堅信を通して、キリスト信者の心の中に消すことの出来ない印を残しています。英語で堅信は「confirmation」と言います。つまり、確認する。このように堅信はキリスト信者にとって洗礼の印を確実にします。それは神様から選ばれたことを示し、そして神様からこの世の中で証し人として派遣された使命も表しています。堅信式は教区の教区長である司教様によって行われています。このような特別な言葉で「全能の神、主イエス キリストの父よ、あなたは水と聖霊によって この人々に新しい命を与え、罪から解放してくださいました。今、この人々の上に、助け主である聖霊を送り、知恵と理解、判断と勇気、神を知る恵み、神を愛し敬う恵みをお与えください。」司教様は洗礼を受けた人を再び選んで、そしてこの世、この社会の中にイエス様の死と復活の証、証人として送りこんでいます。この素晴らしい使命を果たすために欠かせない霊的な武器と鎧のように身についた神様の賜物が必要になります。それはまず、神様から与えられた「聖霊」の事です。聖霊を受ける者は神様の命に生き、神様の思いで考え、神様の中に生きて、神様の愛の計画に導かれています。堅信を受けることによって悪への戦いに強くなって、聖霊の力で罪から解放されます。そして神様の力で、信仰に反するいろんな誘惑を力強く退けることが出来ます。堅信を受けたキリスト信者は堅く信じるようになり、司教様のことばによって聖霊に導かれて、社会の中でみ言葉の証し人として選ばれています。そして力強く悪を戦い、一生懸命教会の中で働き、自分の持っているカリスマを生かし、周囲の人にイエス様の姿とその愛で満ちた心を見せています。
                               モヨリ神父