イエス様のことを愛される皆様へ、
序
厳しい寒さはだれにとっても耐え難く、それを乗り越える希望が湧き出る時を待ちわびます。それは「節分」、立春の前日のことです。季節が変わる節目のこの日、寺院などで行われる儀式を節分会といいます。そして立春になるということは、寒さはまだ続いているものの、春の気が立つ意がこもっています。禅寺で「立春大吉」のお礼をいただき、それを門口などに貼る風習もあります。このように日本に陰暦による言葉があるのに似て、キリスト教の中にも「希望の種」という言葉があります。この希望の種は私たちの心の中に神様がおかれた思いであり、私たちの人生の中の神様の働きです。私たち自身も病人訪問の時、悩む人の話を聴いてあげる時、お年寄りと一緒にいる時、その人のために希望の種になれるのです。
使徒パウロのコリントの信徒への手紙(1)7・32-35
世にある多くのラブ・ストーリーは、何故かいつも私たちの注目と興味を得ています。でも、私たち自身にも長い、複雑なラブ・ストーリーがあります。それは神様と人類の間の愛の物語です。神様はいろんな時、いろんな方法で人類に花嫁のようにご自分の愛を示しました。しかし、人類の方は神様の愛に応えなかった時もありました。しかし、神様は絶え間なく忠実に、人類に、私たちに、ご自分の愛を示し続けられました。神様の愛は人間の愛の手本になり、家庭の愛も神様の愛を語るものす。人間間の愛はわずかなものですが、神様は広く豊かな愛を見せてくださいます。さて使徒パウロは、人間の愛を評価していなかったコリントの信徒たちに、人間の愛の尊さを語り、神様の心にある愛を映してくださいます。そして、イエス様に従った者たちは、結婚してもしなくても、自分の人生の中でより高い理想をめざすように努めれば、自分の家族の中や社会の中でも、神様に仕え、より大きな愛を示すことができ、大きな喜びを得ることになるのです。
マルコによる福音書 1・21-28
いつも第一朗読から打ち出されたテーマは、福音書にも含まれています。よく福音書にでてくることですが、イエス様の言葉や教えを聞いた人は非常に驚いたと書いてあります。驚くとは通常起こらない出来事を見ること、いきなり新しい気持ち、喜びや悲しみか発生することです。よくそのような経験をしているのは子供たちです。彼らはこの世に生まれてきてまだ日が浅く、なんでも新しい経験ですからよく驚きます。そして純粋な心で真理を探し求めます。さて、人間でありながら神様の力で悪霊を追い出し、神様の代わりに話す人、言いかえれば預言者の権威のある者の話を聞くと、だれでも驚くのではないでしょうか。イエス様が神様の力、み言葉の力で悪霊を人間の心から追い出しています。イスラエル人は、神様を見る人は生きていられないと信じていました。しかし、イエス様の言葉で追い出された悪霊が、自分の畏れを示してイエス様の正体を叫び続けています。又、神様より自分の弱さを認めていた悪霊は、イエス様の素晴らしさを公に認めています。だからそれを見た人々のように、私たちもどこででもだれにでも、悪霊にさえ勝ったイエス様のことを、大きな情熱をもって告げ知らせましょう。
モヨリ神父
《お知らせ》
†毎月、第1と第2の木曜日午前10時から信徒会館で、
聖書による勉強会「使徒言行録の朗読と解説」があります。ご参加お待ちしています。
序
厳しい寒さはだれにとっても耐え難く、それを乗り越える希望が湧き出る時を待ちわびます。それは「節分」、立春の前日のことです。季節が変わる節目のこの日、寺院などで行われる儀式を節分会といいます。そして立春になるということは、寒さはまだ続いているものの、春の気が立つ意がこもっています。禅寺で「立春大吉」のお礼をいただき、それを門口などに貼る風習もあります。このように日本に陰暦による言葉があるのに似て、キリスト教の中にも「希望の種」という言葉があります。この希望の種は私たちの心の中に神様がおかれた思いであり、私たちの人生の中の神様の働きです。私たち自身も病人訪問の時、悩む人の話を聴いてあげる時、お年寄りと一緒にいる時、その人のために希望の種になれるのです。
使徒パウロのコリントの信徒への手紙(1)7・32-35
世にある多くのラブ・ストーリーは、何故かいつも私たちの注目と興味を得ています。でも、私たち自身にも長い、複雑なラブ・ストーリーがあります。それは神様と人類の間の愛の物語です。神様はいろんな時、いろんな方法で人類に花嫁のようにご自分の愛を示しました。しかし、人類の方は神様の愛に応えなかった時もありました。しかし、神様は絶え間なく忠実に、人類に、私たちに、ご自分の愛を示し続けられました。神様の愛は人間の愛の手本になり、家庭の愛も神様の愛を語るものす。人間間の愛はわずかなものですが、神様は広く豊かな愛を見せてくださいます。さて使徒パウロは、人間の愛を評価していなかったコリントの信徒たちに、人間の愛の尊さを語り、神様の心にある愛を映してくださいます。そして、イエス様に従った者たちは、結婚してもしなくても、自分の人生の中でより高い理想をめざすように努めれば、自分の家族の中や社会の中でも、神様に仕え、より大きな愛を示すことができ、大きな喜びを得ることになるのです。
マルコによる福音書 1・21-28
いつも第一朗読から打ち出されたテーマは、福音書にも含まれています。よく福音書にでてくることですが、イエス様の言葉や教えを聞いた人は非常に驚いたと書いてあります。驚くとは通常起こらない出来事を見ること、いきなり新しい気持ち、喜びや悲しみか発生することです。よくそのような経験をしているのは子供たちです。彼らはこの世に生まれてきてまだ日が浅く、なんでも新しい経験ですからよく驚きます。そして純粋な心で真理を探し求めます。さて、人間でありながら神様の力で悪霊を追い出し、神様の代わりに話す人、言いかえれば預言者の権威のある者の話を聞くと、だれでも驚くのではないでしょうか。イエス様が神様の力、み言葉の力で悪霊を人間の心から追い出しています。イスラエル人は、神様を見る人は生きていられないと信じていました。しかし、イエス様の言葉で追い出された悪霊が、自分の畏れを示してイエス様の正体を叫び続けています。又、神様より自分の弱さを認めていた悪霊は、イエス様の素晴らしさを公に認めています。だからそれを見た人々のように、私たちもどこででもだれにでも、悪霊にさえ勝ったイエス様のことを、大きな情熱をもって告げ知らせましょう。
モヨリ神父
《お知らせ》
†毎月、第1と第2の木曜日午前10時から信徒会館で、
聖書による勉強会「使徒言行録の朗読と解説」があります。ご参加お待ちしています。