昨日は 母と病院受診日。4週に一回の認知症の診察へ。
前回 アリセプトという薬が3mgから5mgへ増えて、それからの変化を 私は 医師にきちんと伝えなくては、いけないのだが・・・
同居していないため 母の言葉と 部屋の様子と、姉があったときの情報と週に2回のデイサービスからの連絡帳をみて、
気になることは 母にきいてみる。
母は 「な~んにも困ることは、ないよ。調子もいいし。」という。一週間前に姉夫婦が 浄水器のフィルターを交換してあげるために 母のところへ行ったというが、
母は「え?最近?誰も来ないよ~!」と すっかり そのことは白紙状態。ヒントをいくつか 話すことで・・「そういえば ○○子がきて、浄水器のことやってくれたわ」
と思い出す。でも、一緒に行った義兄のことは 忘れている。
浄水器のフィルターが いつまで有効に使えるのか?は しっかり覚えていて、
「来年の9月になったら、もう駄目だから 捨てるわ~!」と いう。(゚Д゚;)。。。
そのように 虫食い状態で 記憶があるところと 無いところがある。
2週間前に私が 母のところに立ち寄ったことは、記憶にない。最近、ケアマネさんが電話してくれたことは 覚えているが、内容は思い出せない。。
認知症の薬に関しても、「もう 薬なんて、いらないんじゃないかと思う。どこも悪くないし。。」と母。
去年からの不調を 私が 「こうだったでしょう?だから 今は 薬のおかげで 調子がいいんだよ。治療は とても大事なんだよ」といえば、
「そうだったかい?もう、忘れた」という。
その調子なので、私は いつも 医師にできるだけ ありのままに状態を伝えたいと思いつつも 自分の偏った見方が 混じっているかもしれないと、
少し不安でもある。母には 母なりの考えもあって、それは 私とは 違っていたりもする。
姉も メールで 前回あったときに、母が 姉の夫を見る目が他人を見るような様子で、話しかけもしなかったという。
結構 お世話になっている義兄の顔を忘れるなんて、不思議な気がする。近所の人の顔や名前は スラスラという。
昨日 会うとすぐ 私に、「ちょっと!指輪がもう 痩せてゆるゆるになって 落としそうになるから、あんたにあげるからもらってくれない?」と
私がお土産で買ってきた寄木細工の小物入れの中にしまっていた指輪をだして、渡してくれた。
私の指でもゆるいのだけれど、もらっておくことにして、すぐに指にはめた。
「あとひとつの指輪とネックレスが あるんだけど、みつからなくて・・・昨日から探しているんだけど、見つからない」と母。
病院受診は いつも通り、本人は ケロリと「調子いいです!なんにも 困りません!」といい
私は 虫食い物忘れ状態を伝えた。薬が増えて まだ3週間なので このままの継続となった。
一度帰宅後、私の耳鼻科の再診があったので一人で出かけ、終わってから また母のところに戻って、
母の薬のセットをしていると・・・
母は、「思い出したの!あの指輪とネックレスは、 去年まで ケースに入って しまってあったのに、そこになくなっている!
盗まれたんだわ! 今 はっきり 気づいた!」という。( ゚Д゚) ???
「どこかに あるんだろうけど 見つからないことは よくあるよ~、そのうち ひょんなところから 出てくるよ~」と私。
それに対して、頑として そんなことはない、はっきり覚えている!と頑張る母!!😢
(これって、よくある被害妄想だよね。)
合鍵をもって出入りするのは 姉と私だけで、二人とも 母の金品を欲しがっては いないことを 話しても、
なかなか 聞こうとしない。。。私は 母にもらったばかりの指輪を見せて「これ 自分でくれたのを 覚えている?」とふざけて聞いてみると
「それは あげたんだよ!覚えているよ」と。
これ以上のやり取りは 意味がないな~と 「どこかに あるよ!出てくるって!」と 聞き流す。
「じゃあ そういうことに しておきましょ!」と なんだか 不服いっぱいの 母の言い方に 呆れながら 薬をセットし続けた。
母の状態は 進行しているのだろうか?このやり取りも すぐに 忘れるのだろうか?
母が 前日 多量につくったという 煮しめをタッパーに たっぷり詰めて 持たされて 帰路に就く。
車で30分ほどの距離なのだが 途中 母から電話がきた。
「さっき ないないって 騒いだものね、全部 ベットの上の棚の引き出しから 出てきたから~。早くあんたに 教えようと思って
運転中だろうと思ったけど、電話したの」という。
一件落着! (;^ω^)
しかし、母は、今日 自転車を買いたいという 話もしており、先日まで 「足がふらついて 怖くて 歩けない」状態だったのに、
「自転車があれば、今よりも便利!」という気持ちに 傾いていて、元気なころの自分に気持ちだけ 戻っていたので、
その危険性について しつこく 話して聞かせたけれど、はたして 大丈夫だろうか?と 不安になる。
この 小康状態は どのような 経過をとるのか わからないし、気力がなくなった 母を見るのも また 悲しい。
母の濃い茶色の煮しめを 朝ごはんで 今朝も食べた。素朴な味。。 母は、10代の前半で実母を病気で亡くしているので
料理を習うこともなかったらしい。
私も また そんな 母の料理しか 知らず、(今は ネットがあるし、料理本もあるけど)
料理が下手なまま・・・(;'∀')
こうして 母の作ったものを食べる機会は あと どのくらい あるのかな?
姉と 少しでも 母にとって穏やかな時間が過ごせるといいね、と 話している。
ちなみに 姉には 先日 母は 自分のブラウスをあげて 持ち帰らせたんだそう。。。