案内板によると、
大久保ガーは、宇宜野座長原の東はずれ、宜野座福地川へ下る坂道沿いにある石灰岩の隙間から湧き出る泉の冷水を利用して造られた水場です。水道が普及する1950〜1960年代の頃まで主に大久保の人々が使用してい「大久保ガー」と呼ばれています。
また、大久保ガーでは沖縄戦前まで字宜野座の青年会によって冬場のみのユフル屋(銭湯)が営まれており、水場と接した場所に茅で囲まれた小屋を建て、男女が分かれて利用していました。なお、ユフル屋(銭湯)の売上金は青年会活動の資金に充てられました。
沖縄戦時の1945年(昭和20年)、宜野座村地域には、米軍によって県内の各地で捕虜となった民間人が集められていました。急激に増えた人口 によって水場を確保する事が課題となり、大久保ガーは米軍から資材の提供を受けて1946年2月に改修され、「瑞泉」の記念碑と歌碑が建立されています。 その他、大久保ガーでは、テナガエビ・カニ・カワニナ・グッピー・シマチスジノリ 等を見る事ができます。大久保ガーは、宇宜野座の水利用の歴史や水場の生物の環境を考える上で大切な文化財です。
とのことです。