滑走路の基礎部分が固く整地するには多大な費用が掛かるので手つかずで現在に至る。
米軍が沖縄本島上陸後、間もなく土地を占領、豊富な物資と軍事力で偵察と本土侵攻のため建設された飛行場です。
戦後、米軍の物資や弾薬集積所、ヘリコプター演習場として使われ、復帰直前の1969年6月と71年6月の2回に分けて
全面返還されました。
しかし、現状復帰されないまま、有効な跡地利用も無く、放置されています。滑走路のほとんどはギンネムなどの雑木に
覆われ、かつての飛行場の面影はありません。
1987年、防衛庁がシーレーン防衛計画の一環として、自衛隊のP3C対潜水艦作戦センター(ASWOC)送信所の建設
計画が明らかになり地元が反対、現在計画は凍結状態になっています。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます