【真珠湾攻撃】陥れられた日本
🔴チャーチルとの密約はあったか?
1940年6月22日、フランスが降伏してナチス・ドイツがヨーロッパ大陸を制覇した。ドイツはイギリス上陸作戦を準備し、9月から連日空爆を加えた(ザ・ブリッツ)。ルーズベルト大統領はイギリスを救うために、参戦することを強く願っていたが、攻撃を受けた場合を除いて、アメリカ国外の戦闘に、陸海空軍を派遣しないと公約していたので、すぐに参戦はできなかった。
#真珠湾攻撃4
当時アメリカはイギリスと同盟は組んでいなかった。アメリカの懸念は日本が南進したときにアメリカはどうすべきかということだった。ルーズベルトは日本に警告文を発したが、これは陰謀説を唱える者の証拠とされる。
ただし、アメリカと日本の戦争が始まったからといって米独戦が自動的に発生することはない。日独伊三国同盟の規定では「更二三締結國中何レカ一國カ、現二欧州戦争又ハ日支紛争二参入シ居ラサル一國二依リ攻撃セラレタル時」に政治的・経済的・軍事的援助の義務が発生するのであり、日本からの先制攻撃はこれにあたらない(ドイツが独ソ戦を開始しても日本がソビエト連邦に宣戦しなかったのはこのためである)。米独戦の宣戦布告は、真珠湾攻撃後にドイツ側からなされたものである。
おはよう御座います。
#今日は何の日
本日も宜しくお願い申し上げます🙇
【今日は何の日】
⭕パンの記念日(4月12日 記念日)
東京都中央区日本橋兜町に事務局を置き、パン食の普及宣伝活動などを行うパン食普及協議会が1983年(昭和58年)3月に制定。
1842年(天保13年)のこの日、伊豆国(現:静岡県)の韮山代官(江戸幕府の直轄領を支配するために設置された役所)において西洋流兵学者の江川太郎左衛門英龍(えがわたろうざえもん ひでたつ)が軍用携帯食糧として「兵糧パン」と呼ばれる「乾パン」を作った。
これが日本で初めて焼かれた「パン」と言われていて、これを記念した日である。また、この日に由来して、同協議会は毎月12日を「パンの日」としている。パン食をいっそう普及させることが目的。
パンについて
明治時代の文明開化により「パン」は本格的に日本に上陸したが、コメ志向の強い日本人には主食としての「パン」は当初受け入れられなかった。この状況を変えたのが、1869年(明治2年)に江戸改め東京・芝の日影町(現:港区新橋付近)で開業した木村屋(現:木村屋總本店)であった。
1874年(明治7年)、木村屋の創業者である木村安兵衛(きむら やすべえ)が、中に小豆餡を詰めた「あんパン」の開発に成功し、これが好評を博した。これにならって甘味を付加した「菓子パン」が次々と開発され、さらにその流れで調理した具材を挟み込むなどした「惣菜パン」も開発された。
第二次世界大戦後、多くの学校で学校給食が実施されるようになると、アメリカからの援助物資の小麦粉を使って「パンと脱脂粉乳」の学校給食が開始された。これがきっかけとなり、日本において「パン」が大量流通するようになり、1955年(昭和30年)以降、日本での「パン」消費量は急増していった。
関連する記念日として、4月4日は「あんぱんの日」、毎月12日は「パンの日」となっている。
#今日は何の日