2024年8月、それまで悩んでいたことはあったけれど(また別の記事で)、まさか突然こんな日が来るとは、という感じだった。
いてもたってもいられない。寝てもいられない。でも何かができるわけでもない。
室内をうろうろ、階段をただ上がったり下がったり、夜中でも外に出て歩き回る。
1時間ごとに目が覚める。そして動悸がして呼吸が浅く、泣きながら家の外に出る。ただひたすら歩く。でも、現実に戻りたくなくて、家に入れないときもあった。
自分が何もできない役立たずだと思えて仕方なく、ご飯が作れない。もしまずかったらどうしよう、家族に嫌われる。こんなに辛いならもういっそのこと消えてしまいたい。生きている価値がない。
お米を洗っている時に変なお米がないか入念に確認しないと炊くことができない。
水筒の底が汚れているような気がして(本当にはただ水滴がついていただけ)主人に「水筒が洗えない、許してください、ごめんなさい、ごめんなさい」と夜中に謝ったりもした。
あらゆる失敗が怖くてたまらない。何かを間違えたら家族に嫌われる、私には何の価値もない。そんな思いに囚われてしまった。
8月12日のことだった。長男がバイト、次男は友達と旅行で主人と2人で外食をした時。二口ほど食べたら、心がザワザワしてそこに座っていられなくなった。
「ごめんね、私、食べられない…」
席を立って、車に戻り、号泣しながら母親に電話した。
「私もういなくなりたい。もう自分が自分じゃないのが辛くてたまらない。もう死にたい」
実母に感情をぶちまけるのは初めてだった。
私達は一緒に服を買いに行くような仲良し親子ではなかった。
ただ、実母の性格はそういう感じではないし、実家も同居家族で大変だったのも理解していた。
主人は驚いてはいたものの、マイペースに残りを包んできてくれた。
「私が太ったらみんなに嫌われる」
そこから食べること自体も怖くなった。特に完成したひと揃えをさあ食べて、と出されるのが怖いのだ。小さい頃から「出されたものを残してはいけない」、ときつく言われてきたから残すことに罪悪感がある。じゃあもう外では食べられない、と。
それからはもう毎日が地獄のようだった。お盆だから心療内科もやっていない、さらに友人から初診の予約がとれないと聞いた。
毎日、あらゆることをやってみた。朝の光を浴びる、散歩する、自律神経のマッサージ、呼吸法、そしてSpotifyで不安解消の音楽を流しながら寝た。寝てもまた夜中に目覚め、いてもたってもいられず外に飛び出す。常に動悸がして、胸の中に何か詰まっている感じ。
実母に泣きながら電話して実家に向かうことも何度かあった。
母は私が号泣しているので気持ちを軽くしようと思ったのだと思うが、こう言った。
「私が悪かったんだ、あんたにはいつか謝りたいと思っていた、最初の子のプレッシャーであんただけにきつく当たっていた。」
それはわかっていた。ただ、記憶としては薄らいでいて多くは覚えていなかったし、「お母さんも大変だったんだろうな」と今になるとわかる。
それから母は具体的に私にしたことを述べ始めた。
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