今日は父の33回忌の法要でした。
本来なら昨年だった。命日が1月5日のため、昨年の年内にやるはずだったが状況的に無理だった
私が病気になり、まだ1ヶ月。あの頃はまだ外に出るのもままならず、また正座もできないような身体の調子だった。そこでお寺さんに相談し、仕方なく伸ばしていて1年後ということにしたのだ
もう、ほんの少人数で行った。
父の最期で記憶にあるのは、丁度学期末だったので、通信簿を見せたこと。「ボチボチだな」と言っていた。
大晦日にはレコード大賞を見ていて、ちあきなおみの“喝采”が大賞をとり、それを伝えたら、「そっかー」と言っていた。
そして、ほんとの最期には「○○○、バイバイ」と言って、あの世に逝った
父は私が中学のときに他界しているため、既に33回忌。
今日のご住職のお説教で、33回忌が一つの区切りだとおっしゃっていた。
この後は、ご先祖として供養していくことになると・・・
ご住職は、ご先祖を数えたことがあると・・・
自分がこの世に存在、生きているということは、たーくさんのご先祖がいるから。両親、祖父母くらいまでが記憶にあるものだが、その前にもいっぱいのご先祖がいて、自分が存在するんだ
ご先祖を供養するということは、自分の存在を、生きているということに感謝ということだと・・・
できれば次は50回忌ということだが、会食しながら話したのは、年齢的に生きているのは私だけか? いやいや、自分が一番先に逝くかもしれない・・・
そんなことで言い合いしてどうすんねん
お経を聞いている間、いろいろなことを考えた。父と同じ病気になり、父はあの時どんな思いだったのか
今まで法事では涙が出たことがなかったが、今日は何故かお焼香をしたら涙が出てきた 自分でもなぜだかわからないが・・・
今まで以上に、日々、ご先祖様に感謝して過ごしていこう
だから、皆が元気で生きていけますようお守りして下さいね 合掌。
本来なら昨年だった。命日が1月5日のため、昨年の年内にやるはずだったが状況的に無理だった
私が病気になり、まだ1ヶ月。あの頃はまだ外に出るのもままならず、また正座もできないような身体の調子だった。そこでお寺さんに相談し、仕方なく伸ばしていて1年後ということにしたのだ
もう、ほんの少人数で行った。
父の最期で記憶にあるのは、丁度学期末だったので、通信簿を見せたこと。「ボチボチだな」と言っていた。
大晦日にはレコード大賞を見ていて、ちあきなおみの“喝采”が大賞をとり、それを伝えたら、「そっかー」と言っていた。
そして、ほんとの最期には「○○○、バイバイ」と言って、あの世に逝った
父は私が中学のときに他界しているため、既に33回忌。
今日のご住職のお説教で、33回忌が一つの区切りだとおっしゃっていた。
この後は、ご先祖として供養していくことになると・・・
ご住職は、ご先祖を数えたことがあると・・・
自分がこの世に存在、生きているということは、たーくさんのご先祖がいるから。両親、祖父母くらいまでが記憶にあるものだが、その前にもいっぱいのご先祖がいて、自分が存在するんだ
ご先祖を供養するということは、自分の存在を、生きているということに感謝ということだと・・・
できれば次は50回忌ということだが、会食しながら話したのは、年齢的に生きているのは私だけか? いやいや、自分が一番先に逝くかもしれない・・・
そんなことで言い合いしてどうすんねん
お経を聞いている間、いろいろなことを考えた。父と同じ病気になり、父はあの時どんな思いだったのか
今まで法事では涙が出たことがなかったが、今日は何故かお焼香をしたら涙が出てきた 自分でもなぜだかわからないが・・・
今まで以上に、日々、ご先祖様に感謝して過ごしていこう
だから、皆が元気で生きていけますようお守りして下さいね 合掌。