第五高等学校の資料の中には帳簿が(会計、図書、教務、庶務)多岐に亘り残っているが長い年月を経過し、大多数が虫害等を受けて判読さえ難しくなっている。
しかしこれらを開いてみるとその時代の情勢、世情、そして後の世との関わり合いが読み取れるのも面白い。
一例を挙げれば会計に関する帳簿で、昭和15年度の支出内訳簿の中から、約30年後の熊本大学の御用商人的な存在であった地元企業の芽生が見える。
当時から熊本には大企業はなく、国、地方公共団体等の、所謂官公庁の機関に如何にして出入りしようかとその存在をアッピールし努力している様子が伺える。
特に大きな民間会社もなく納入先は官公庁に限られていた。
この時代に、医科大学(医学部)・第五高等学校(法文学部、理学部)・高等工業学校(工学部)・薬学専門学校(薬学部)等への物品の納入を行なっていたもののほとんどが戦後にかけ
ての世情に合致して会社を大きくして行ったことが伺える。
しかし時代は平成になり地元企業は全国規模の大手資本に押されて、吸収されたり合併されたり、またはチエン店となっている、
今ではこの時代の熊本の企業名、商店名さえ見出すことは殆ど出来なくなってしまった。