五高の歴史・落穂拾い

旧制第五高等学校の六十年にわたる想い出の歴史のエピソードを集めている。

昭和二年の庶務日誌から八月

2013-05-24 03:56:14 | 五高の歴史


 熊日新聞の報道に依れば五高記念館入館者が十万人を超えたとか
 開館したのは何時だったか忘れてしまったが、一万人に達したのは確か平成七年であった。

 以下には昭和二年の庶務日誌の続きを掲げる


八月三日 水 雨
一、 午前八時空晴れるとして十時頃より再度降り出す農家に於いては至極結構なことなるべし
八月四日 木 朝曇
一、 南九州中等学校野球大会本日より開始午後九時入場式後立開戦戦中降雨あり遂に雨を侵し
    戦いを終ん強雨の為午後の戦いは中止せらる
八月五日 金 曇
一、 南九州野球戦第二日にて朝来微雨なりしか野球戦有無照会の電話絶ゆる時なし

八月六日 土 曇
一、 昨夜非常の強雨にて白川一丈出水、寺原、田端一面の湖水となる
一、 降雨にて野球戦中止となり本日延期せらる天気の模様にて有無の照会の電話応接間断なし
八月八日 月 曇
一、 野球戦準優勝戦につき見物沢山

八月九日 火 曇
一、 野球優勝戦本日挙行熊本チームは全敗鹿児島商と鹿児島実との戦いとなりたり
八月十日 水 雨
一、 昨日より県主催体育講習会開始本日は降雨の為講習できる弥b否や電話引き続き来るも講師不在に付回答するを得ず
全国中等学校野球大会も会場は武夫原を使って行われていた

大学院の講座を追記する。
5月24日にはさわやか大学大学院の講座が実施されていた。日程表には5月31日となっていたのでそれが間違っていた。それを信じた俺が悪いのか?確かに帰りには来週の予定は呉れるので確認しない方が悪いが、全然面白くない。わざわざ名簿作成したり昼食会を遣りましょうとかいうことばかりは行われていたが、確認のため予定表を点検すると24日にすべてが完全に終わっていた。早い話班長が女性であることも原因かもしれない。すべてが自分たちの都合で進行している感じである。名簿には連絡先として電話番号も記入させられたが何のための連絡先の記入であったのか、全く分からないそらだから個人情報は出しませんと反対したのであったが、連絡は出来る筈であったかられんらくしても悪くはないと思うのだが・・・・。