先祖の墓掃除もした。墓は昔のものがまだ五基から残っている。祖母の言葉「墓じゃあじん」が思い出された。墓の整理もしなくてはなるまいが、何しろ自分の生活が先であり、生活を犠牲にしてまで先祖を祀る必要もなかろう。墓が残っていることはそれ相当の土地もあったはずだと調査してみたことがあった。ところが土地の価値が高価な場所、利用価値があると思われる処は全てわたしのおふくろの叔父叔母たちが、これは俺の分、ここは俺の分と言う塩梅で自分たちの所有に名義変更をしてしまっている。祖母はまだ若い時期に後家さんになり一人で娘四人を成長させて本家を守っていた。一番新しく所有権移転が行われているところでも昭和七年でありこれもしゃにもに○○伯母さんが取らしたのだという事を祖母は話したことがあった。すでに八〇年の昔である。俺の生まれる数年前のことである。
吾が家は本家である。昔は外に出て家を作れば新家となっていた。そのため墓は本家という事であろうか?先祖のお墓という事であるが俺が知っている限りこれらの墓にもその遺族もいると思われるが、お参りに来た子孫は一人として来た記憶がない。全て捨て置けという事であろうか?
我が家を建築してからさえ既に五〇年になろうとしている。この土地は堤防の下で場所的にはとても不便な不自由なところであった。前記の時代この畑は売るに売れなく、あそこを取っても仕方がないという事で。一反の畑が残っていたようである。
その残っていたところに家を建築したのであったが、その建築経過もまた振るっている。三〇〇坪の土地の真ん中と思しき所に建ててしまった。今度は俺の兄弟等の縁故者が彼奴のところを半分貰おうとか言われないように真ん中に建築したのであった。社会情勢も変化しその後の河川改修工事や道路建設で現在のような状態になってしまったのである。ここでも時間の経過が早いことが思い知らされた。一枚の畑でも残っていたことは良かったよかったと先祖に感謝している
吾が家は本家である。昔は外に出て家を作れば新家となっていた。そのため墓は本家という事であろうか?先祖のお墓という事であるが俺が知っている限りこれらの墓にもその遺族もいると思われるが、お参りに来た子孫は一人として来た記憶がない。全て捨て置けという事であろうか?
我が家を建築してからさえ既に五〇年になろうとしている。この土地は堤防の下で場所的にはとても不便な不自由なところであった。前記の時代この畑は売るに売れなく、あそこを取っても仕方がないという事で。一反の畑が残っていたようである。
その残っていたところに家を建築したのであったが、その建築経過もまた振るっている。三〇〇坪の土地の真ん中と思しき所に建ててしまった。今度は俺の兄弟等の縁故者が彼奴のところを半分貰おうとか言われないように真ん中に建築したのであった。社会情勢も変化しその後の河川改修工事や道路建設で現在のような状態になってしまったのである。ここでも時間の経過が早いことが思い知らされた。一枚の畑でも残っていたことは良かったよかったと先祖に感謝している