紋次郎と日々の出来事

骨肉腫と闘った紋次郎と保護犬の正次郎との日々

最期に向けて5

2008年09月23日 22時45分06秒 | 父のこと
甥がお父さんの顔のそばでお別れを言っていたようでした。
私はひたすら心拍数が0になったり1から5になったりを繰り返しているのを
疑問に思いながら見ていました

母が来ました。姪と一緒に。とても冷静だったと思います「お父さん」っと言ったきりだと思います。
そして心拍数は0ではありませんでした。
母と姪を乗せてきた姉が取り乱して「こんな顔じゃあお父さんがかわいそうだ」っと紫色の血管が浮き出た顔をさすりながら「おとうさん、お父さん!!」っと叫んでいました。
私も一緒に顔をさすっていたのですが、もうなんかすごく冷静になってしまって。
お父さんは無理やり生かされているのではないのか?
私たち全員間に合わなかったのではないのか??
そう思っていました

最期に向けて4

2008年09月18日 23時15分44秒 | 父のこと
間があいてしまいました。
最近、思うことは、もしあの時心不全にならなかったらお父さんは生きていただろうか?っと言うことです。
きっと生きていたと思います。でも治療も限界にきて、緩和ケアに移っていたと思います。私はそれを希望していました。
家族で死を受け入れる準備が出来るのが癌だと思っていたので。
決してお父さんをないがしろにしていたわけではないのですが、一緒に受け入れる準備が出来ると思っていました。でも現実は違いましたね・・


ベットを倒すと飼主1は病室を出て私の家族に電話をしたそうです。
『間に合わなかった』っと・・。
後で聞いてはい??っと思いましたが、あまりにも私が泣くので間に合わなかったと思ったそうです。そして私が疑問に思っていることも見たっと言う理由もあります。

座ってくださいって言われてもそうそう座っていられません。お父さんはベットを倒して垂直にベットを戻しました。
そうすると・・・・・今まで数値が出ていた心拍数がいきなり”0”になりました!!テレビとかで言うピーピー状態。もうどうしていいのかわからなくて、「お父さん!!0の数字を見るとお母さんが悲しむから、もう少しがんばってよ!!」っと悲鳴ではなく、どうしてこの状況が起こっているのか疑問の声で言いました。すると、0~5のあたりをふらふら。ベットを倒す前は20~30はあったのに?!すると看護師さんが「今朝、急に調子が悪くなって、出来るだけ早く知らせようと思って電話しました」っと笑顔。
疑問の渦の中「ありがとうございます」っと言うしかありませんでした。

一体どうして“0”っという数字になるのか、不思議でならなかったとき、甥が駆けつけました。

甥は共働きの両親に代わってお父さん、お母さんに育てられた子供です。
彼は彼なりにお別れをしていました。