紋次郎と日々の出来事

骨肉腫と闘った紋次郎と保護犬の正次郎との日々

最近

2009年01月23日 00時33分46秒 | 父のこと
もうすぐ一周忌です。
昨年の今頃はもう使う抗がん剤がないっといわれ、小細胞肺がんなのに、非小細胞肺がんで使う抗がん剤を打っていました。どうもこの抗がん剤が合わなかったようです。
非承認の抗がん剤を使えばよかったといまさら思うのですが・・・後の祭りですね


死亡宣告の後、ドカベン先生が母に『小細胞肺がんで4年近く生きた例はまれなのでよろしければ解剖をして今回の試飲の原因等を調べたいのですが、もちろん、断ってもかまいませんよ』っと母に言っていました
母はお父さんがちょっとでも腹を切ることを嫌がっていたのを知っていたので『主人は盲腸を切ってからメスを体に入れるのを嫌がっていましたので(事実、腎臓癌を疑われていましたが、きるのを嫌がっていました)解剖はやめます』
ドカベン先生は説得することもなく「解りました」っとおっしゃっていました
看護婦さんが「管などを抜くのでこちらに・・」っと応接室に案内してくれました。

外には晴れているのに雪が降っていました。銀色にきらきら光ってとてもきれい・・・義兄が「義お父さんはかっこいいことが好きだったからね」っと言っていました。お父さんは死んだんだな・・・・・・・・・・・


子供のころ、友達の家で遊んでいるとき救急車が通ると「私の家かもしれない!」っとあせったことが何度もありました。家族が長生きするように毎年願っていました。がんっとわかって覚悟をしていたけれど、こんなに早くこのときを迎えるなんて思いもしなかったです。
きらきら光る雪を見ながら、いまいち実感がわかず、夢を見ているよう。とりあえず会社に連絡、飼主1の親に連絡、そんなことばかり考えていました


闘病記2
2005-4-17
母、姉、私、姪といつも行くスーパー銭湯に行った。
そこで家族で話し合った。私はしばらく実家に寝泊りしようと思うと言った。
母、姉は何も言わなかった。
肺がんである確立は70%だと医者に言われていたので、母は「悲観的にならなくっても
大丈夫だよ」っと言っていた。
家族ではお父さんは100まで生きるだろうって言っていた。お父さんの両親はお母さんと
結婚する前に病気で亡くなっている。でも親戚は80代まで現役で元気。
ガンには無縁の家系だと思っていた。それもあったのだと思う。

4センチ大の腫瘍、これがあったら末期だから痩せたり食欲不振だったり出るよっと。
確かにお父さんは咳以外元気で食欲もある。胸が痛む以外何も症状がない。でも私は
どうしても悲観的に考えてしまう。それではいけないんだけどね。

多治見に帰ると飼主1の前で泣いた。飼主1は焼肉に連れて行ってくれたけど・・
不安はぬぐえない。

闘病記(知らせ)

2009年01月04日 21時13分34秒 | 父のこと
闘病記については別のホームページに記したものをそのまま掲載します
今肺がんと闘っている方のご参考とまではいきませんが
これまた私の思い出として記したいと思います


2005-4-14
足が震えた

今朝、携帯を見ると親から電話があった。
留守電にも無言の電話があった。たまたま紋次郎の散歩に行っていて気付かなかった。
ああ、会社に行く途中で電話をしよう、と思っていて忘れてしまっていた。
会社の昼休み、電話をすると母が『本当は顔を見て話そうと思っていたんだけど、
あんたも娘だから知る必要があると思って』っという。
すごく不安になった。「言いたいことはちゃんといってよ!!」というと、
今、お父さんの検査入院の帰りの車の中だと。私は検査入院をすることすら知らなかった。
お父さん、肺がんかもしれない。結果は21日に出る。
足が震えた。とうとう私にもこういう試練がきたのだと、最初に思った。
それから仕事にならず、会社で肺がんについて調べた。
同じ会社の飼主1に報告して、今日は実家に帰ることを告げた。
 
実家に帰るといつもと変らない家族。聞けば2月からお父さんの咳がおかしかったと。
私はまったく気付かなかった。私は実家を離れているからこんなことがないよう
に、月に一度は必ず実家に行っていたけど、叔父叔母、母の友達も検査入院をする
ことを知っていたのに、私だけが知らなかった。
4月の上旬の旅行のときも電話をしたが、そのことにはまったく触れなかった。
すごく悔しかった。結婚なんかするんじゃなかったと思った。
健康自慢の父、母と違って血液検査も良好で、肺の検査もしていることは知って
いたけど、痰がとれないから検査が出来ないんだわ、っとまったく問題がないよう
なことを言っていた。
それなのに、こんなことが・・・明日は午後から休むことにした

新年

2009年01月04日 20時38分58秒 | 日常
新年が明けました
そしてしばらく間が開いてしまいました
昨年はお父さんの死、そしてどういうわけか仕事が2倍に膨れ上がってしまって
なかなか時間が取れません。お父さんの記憶をとどめておきたいのですがね・・
12月は後輩2人が結婚しました。締めくくりがうれしい出来事でよかったです

今年も一家で旅行に行きました。お父さんの位牌を持って。
去年はお父さんも参加したんですよね。wii Fitをもって。時々wii Fitを立ち上げると「最近お父さんを見ませんね」なんて出てきます。寂しいですね
あの時は元気で、ぎっくり腰をした飼主1を気遣っていました。
温泉にも一度だけ入ることが出来て(お風呂に入ると体力を奪われてとてもだるくなり、咳も出てしまうので)喜んでいたことを思い出します

そんなお父さんは位牌と写真とで私たちを見ていました。一緒に来ていたのでしょうかね。
今でもこの世にいないって信じられません。入院しているのだろうっと思います