gooブログ ものがたりの歴史 虚実歴史

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

吉宗が西川如見を招聘した当時の尾張藩主

2011-10-19 03:47:00 | 享保~寛政の改革、エカテリーナIIとアントワネット



『暴れん坊将軍』で吉宗は当時随一の天文学者・西川如見を長崎から招聘。
「史実」では1719年のことである。
西川如見 暴れん坊将軍 - Google 検索

当時の尾張藩主徳川継友で、権中納言從三位。
吉宗と将軍の座を争って敗れたのは継友であるから『暴れん坊将軍』で日野の大和田村に彗星が落下したとき、将軍の座を狙っていたのは宗春でなく継友とするのが妥当か。

徳川宗春はどうしていたかというと、1713年(正徳3年)江戸へ移り元服。当時は松平通春(みちはる)。
1716年(享保元年)または1717年に 從五位下に叙し、主計頭に任官。
陽暦で1719年2月6日、和暦(陰暦)で享保3年(1718年)12月18日に從四位下に昇叙。

/tweet(1)//TWEET(2)/TWEET(3)/


前後一覧
〔2011年(平成23年)10月

参考になるHP
江戸壊滅の危機!すい星激突の恐怖 THE VALLEY OF GWANGI(2006年)

参考になるテーマ(T-CupBlog)
時代劇
チャンバラ!

/『暴れん坊将軍』の彗星 - gooブログはじめました!/


『水戸黄門』の舞台が伊勢の松坂

2011-10-19 01:56:00 | 延宝~貞享~元禄~宝永~正徳、綱吉前後
伊勢というと三重県、伊賀上野がある場所。
弥七飛猿、鬼若、アキお銀お娟は別人)、服部半蔵、松尾芭蕉の地元である。

この当時、松坂は紀伊藩の支配下にあった。
大岡忠相は光圀隠居当時の1696年(元禄9年)、從兄であった大岡忠英の起こした刃傷事件の連座で閉門処置となっていた。
翌1697年(元禄10年)、松平頼方、のちの徳川吉宗が綱吉に謁見(『八代将軍吉宗』)。
『水戸黄門』では光圀が紀州で、当時、源六と名乗っていた頼方と会っている(第38部第5話「暴れ若様まかり通る」)。
さらの次の年、1698年(元禄11年)に紀伊大納言・光貞が隠居した。

光圀が没して12年、忠相は山田奉行(伊勢奉行)に就任した。
山田奉行所は江戸幕府が始まった1603年(慶長8年)からある。