あだち充原作の某アニメの主題歌ばかり有名になるので、別の曲を取りあげてみる。
「赤と黒」
もとは文学作品の『赤と黒(Le Rouge et le Noir)』であろう。
文学作品やミュージカルを連想させる歌が多い。既存の作品からの派生という意味では杏里の「オリビアを聴きながら」や浅香唯の「セシル」も少し似ている。
「涼風」
当時は『地球(テラ)へ…』の主題歌がこの曲に似ている気がした。
「I THINK SO」
歌詞で「熱い木枯らし」とあり、TV番組で話題になっていた(1980年代、特にタモリが歌の歌詞に突っ込みを入れるネタをよくやっていた)。
『なぜなぜロンちゃん』または『夕やけロンちゃん』の「めざせベストテン」で紹介されていたと思う。
「四季」
ビバルディの「四季」や日本の「♪春を愛する人は~」で有名な「四季の歌」とも違う。
歌詞で「キャトルセゾン(quatre saisons)」というフレーズが出てくる。
「LA WOMAN」
熱帯風(トロピカル)な歌。冠詞が佛語で名詞が英語か。
佛語ならLA FEMMEで、英語ならTHE WOMANのはずである。
「ごめんねDarling」
「化粧なんて似合わない」
尾崎亜美の名曲。「化粧なんて~」は一聴しただけで尾崎亜美の曲とわかりそうな作品。
「マルガリータ ガール」
「愛してモナムール」
「化粧なんて似合わない」まで収録された1982年のベストアルバム
『SINGLES』収録。
この人にはヨーロッパ旅行や詩集のような歌が似合う。劇場で芝居や映画を見ている気分になる。
「恋ほど素敵なショーはない」
これ以降は2001年の『MY これ!クション 岩崎良美BEST』収録作品になる。
日清サラダ油の豆乳のCMを思い出す。
タイトルのもとは
『ショウほど素敵な商売はない
(There's No Business Like Show Business)』であろう。
レコードだけでなくラジオの生歌でもフェイドアウトだった。
「ラストダンスには早過ぎる」
ラジオで聞いてほぼ發賣と同時に購入。
また、オムニバスの『超空想ベースボール』には「愛がひとりぼっち」が収録されている。
なお、この『超空想ベースボール』には倉田まり子の「真夏のランナー」もある。
岩崎宏美のアルバム『Dear Friends』では「誰もいない海」で岩崎宏美と岩崎良美がデュエットしている。
「80年代アイドル」という言い方が多いが「昭和のアイドル」と呼ばれるのは1970年代まで(昭和54年まで)が多いようだ。個人的に昭和の歌謡曲と言ったら1980年代(昭和55~64年)の方がよく聴いたのだが。
〔#昭和の懐メロ〕 〔#昭和50年代の懐メロ〕 〔岩崎良美 化粧なんて似合わない〕 作詞・作曲: 尾崎亜美 昭和57年(西暦1982年)
〔午前1:57 · 2021年7月18日〕
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2011年11月
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岩崎良美
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松田聖子と岩崎良美
満洲では豚まんじゅうと呼ばれていたらしい。
餃子 宇都宮 - Google 検索
中国では饅頭(mantou)とは小麦粉で作った白いパンである。
「餃子」は北京語でjiaoziであるから
gyozaは山東省の*giaoziのような發音の訛りであろう。
朝鮮語では餃子を饅頭
日月書閣『中韓小辭典』で「餃(jiao3)」を調べると
【饺子】jiăozi(물)만두,교자.
とある。(mul)manduは「(みず)饅頭」であり、kyojaは「餃子」である。
mulは朝鮮語固有語で「水」を意味し、manduは「饅頭」でもとはシナ語である。
現代北京語の「饅頭(mantou)」と同系だ。
@kyojitsurekishi 宇都宮は栃木県の町だが、埼玉の所沢には「ぎょうざの満洲」がある。満洲からの引揚者と関係あるのか?
#ぎょうざの満洲
6:08 - 2016年5月8日
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宇都宮 満洲 餃子
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Y!Blog>『強行帰国 忘れ去られた花嫁たち』
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中国では饅頭(mantou)とは小麦粉で作った白いパンである。
「餃子」は北京語でjiaoziであるから
gyozaは山東省の*giaoziのような發音の訛りであろう。
朝鮮語では餃子を饅頭
日月書閣『中韓小辭典』で「餃(jiao3)」を調べると
【饺子】jiăozi(물)만두,교자.
とある。(mul)manduは「(みず)饅頭」であり、kyojaは「餃子」である。
mulは朝鮮語固有語で「水」を意味し、manduは「饅頭」でもとはシナ語である。
現代北京語の「饅頭(mantou)」と同系だ。
@kyojitsurekishi 宇都宮は栃木県の町だが、埼玉の所沢には「ぎょうざの満洲」がある。満洲からの引揚者と関係あるのか?
#ぎょうざの満洲
6:08 - 2016年5月8日
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もし『水戸黄門』が日本の文化として継承すべき物であれば、それは月形龍之介以前から続く『水戸黄門漫遊記』の世界であり、江戸時代後期から200年ほど、明治時代末の映画から1世紀ほど続いている作品全体の話である。
2011年に終了したのは連続ドラマとしての『水戸黄門』であり、TBSで放送し、パナソニックドラマシアターの枠で放送されていたシリーズの終了である。
パナソニックドラマシアターの『水戸黄門』は視聴率が低下すれば打ち切りになるのも当たり前で、恒久的に続けるべき物ではない。
毎週、月曜夜に放送され、50分ほどの番組で、1話完結であって前後編がなく、似たような話の繰り返しである『水戸黄門』はあくまでTBSのナショナル劇場としてできあがった定番であり、これが42年たって終了しただけの話だ。
少なくとも45分の印籠だの、女優のお風呂だの、光圀のアゴの白いヒゲだの、八兵衛の食いしん坊によるドジだのは、守るべき「文化」でも何でもない。多くの『水戸黄門』ファンはこれらの要素がないと『水戸黄門』でないと思いこんでいるようで、そこが問題である。
ただ、2011年における『水戸黄門』の終了が、単なる42年の『水戸黄門』の終了だけでなく、江戸時代から約200年続いた『水戸黄門漫遊記』そのものの終了であるという見方もできる。
その場合、『大岡越前』『遠山の金さん』といった講談をアレンジした時代劇の終了と合わせて考えると、江戸時代の将軍や藩主や奉行の実像を「ゆがめて」、英雄に仕立て上げてきた時代劇の終焉と見ることもできる。権力者の中から救世主が現れるのを大衆が待つだけという他力本願の国民性が、21世紀から10年経過した時代に終わりを告げているのかも知れない。
2011年は1867年の大政奉還から144年、つまり平成23年は明治144年である。
また、明治元年から143年経過している。
そうなると江戸時代から続く『水戸黄門』は守るべき文化どころか、旧時代の負の遺産、近代日本が克服すべき悪しき思想の象徴ということになる。
劇中の水戸光圀は本来、度重なる旅の果てに、「悪人だろうが善人だろうが、印籠の前に皆がひれ伏すような世の中が間違っている」という考えに至るべきであった。
本来、光圀は西山荘で静かにしているのがベストなのである。
しかし番組では光圀が西山荘に留まっているのを「悪いこと」にして、旅を「当然」としたままである。その前提のままでシリーズが終わるとすれば、スタッフはシリーズの終了から何も学んでいないことになる。
呆れるのは水戸市関係者が『水戸黄門』の終了を想定していなかったことと、今のTBSのパナソニックドラマシアターでの継続を前提にして、自ら他のスポンサーを探すことを考えていなかったことだ。
2011年に終了したのは連続ドラマとしての『水戸黄門』であり、TBSで放送し、パナソニックドラマシアターの枠で放送されていたシリーズの終了である。
パナソニックドラマシアターの『水戸黄門』は視聴率が低下すれば打ち切りになるのも当たり前で、恒久的に続けるべき物ではない。
毎週、月曜夜に放送され、50分ほどの番組で、1話完結であって前後編がなく、似たような話の繰り返しである『水戸黄門』はあくまでTBSのナショナル劇場としてできあがった定番であり、これが42年たって終了しただけの話だ。
少なくとも45分の印籠だの、女優のお風呂だの、光圀のアゴの白いヒゲだの、八兵衛の食いしん坊によるドジだのは、守るべき「文化」でも何でもない。多くの『水戸黄門』ファンはこれらの要素がないと『水戸黄門』でないと思いこんでいるようで、そこが問題である。
ただ、2011年における『水戸黄門』の終了が、単なる42年の『水戸黄門』の終了だけでなく、江戸時代から約200年続いた『水戸黄門漫遊記』そのものの終了であるという見方もできる。
その場合、『大岡越前』『遠山の金さん』といった講談をアレンジした時代劇の終了と合わせて考えると、江戸時代の将軍や藩主や奉行の実像を「ゆがめて」、英雄に仕立て上げてきた時代劇の終焉と見ることもできる。権力者の中から救世主が現れるのを大衆が待つだけという他力本願の国民性が、21世紀から10年経過した時代に終わりを告げているのかも知れない。
2011年は1867年の大政奉還から144年、つまり平成23年は明治144年である。
また、明治元年から143年経過している。
そうなると江戸時代から続く『水戸黄門』は守るべき文化どころか、旧時代の負の遺産、近代日本が克服すべき悪しき思想の象徴ということになる。
劇中の水戸光圀は本来、度重なる旅の果てに、「悪人だろうが善人だろうが、印籠の前に皆がひれ伏すような世の中が間違っている」という考えに至るべきであった。
本来、光圀は西山荘で静かにしているのがベストなのである。
しかし番組では光圀が西山荘に留まっているのを「悪いこと」にして、旅を「当然」としたままである。その前提のままでシリーズが終わるとすれば、スタッフはシリーズの終了から何も学んでいないことになる。
呆れるのは水戸市関係者が『水戸黄門』の終了を想定していなかったことと、今のTBSのパナソニックドラマシアターでの継続を前提にして、自ら他のスポンサーを探すことを考えていなかったことだ。
史実の徳川光圀は熱海[atami]と勿来[nakoso]の間を移動しただけで、訪問先のほとんどは関東であった。
2001年に石坂浩二が佐野浅夫に続いて水戸老公役になったときは、『仕留人』の糸井貢などを演じた若い俳優のイメージがある石坂浩二が老人の役になって、個人的にショックを受けたものである。
春日太一氏によると2001年に石坂浩二が4代目光圀役となり、さらに『水戸黄門』の間のナショナル劇場のドラマが現代劇になったことで、ナショナル劇場の固定ファンが大量に離脱し、視聴率が10%前後に落ちたらしい。
重要なのは石坂浩二の起用だけでなく、合間のドラマが時代劇でなくなったことも視聴率低下の原因らしい点だ。
2001年の石坂浩二の『水戸黄門』の第29部、2002年の第30部は史実に近い水戸老公を目指したらしいが、石坂浩二が演じた水戸光圀(徳川光圀)は相変わらず全国行脚をしており、どこが史実に近づけたのか理解できない。
第29部では光圀にアゴヒゲがなかったのが史実に近づけたというのであれば、そのような外見上の試みは大した意味がない。些細な違いである。逆に從来のファンがそんな些細な違いで番組から離れたとしたら、それも真のファンとは言えないだろう。
『水戸黄門』のファンが「ヒゲがない」ことや「石坂浩二の外見が若い」といった表面的な些細な違いだけで、この2シリーズを『水戸黄門』と認めなかったのだとすれば、それは見た目だけにとらわれた低次元な理由だし、第30部でヒゲが復活したことで視聴率が回復したかどうか疑わしい。
一方、1995年には由美かおる扮するかげろうお銀を主人公にした『水戸黄門外伝 かげろう忍法帖』が作られている。これはお銀、飛猿たちが忍者軍団を連れて、光圀(演:佐野浅夫)の代理で世直し旅をする話であった。
これは荒唐無稽さでは『水戸黄門』本編を上回っているが、個人的には評価できる。なぜなら『水戸黄門外伝』は光圀が関東(水戸)に留まっていた点で、史実に近いからである。
由美かおるの演じたくノ一が「お銀」だったのは2000年の第28部までで、
2001年以降は「疾風のお娟(はやてのおえん)」になっている。
『水戸黄門』の第43部は東海道の旅であった。
個人的には一度でいいから『水戸黄門』で関東地方限定のシリーズを観たかったところである。
水戸光圀の旅を勿来と熱海の間の関東地方に限定し、水戸、西山荘、霞ヶ浦、筑波山、日光、銚子、鎌倉、江戸を舞台に水戸老公が活躍する話で、これなら弥七や八兵衛といった架空のキャラクターがいても文句はない。
里見浩太朗は西村晃の次に水戸老公役を要請されて、まだ年寄りの役はやりたくないと断った経緯がある。
『水戸黄門』は光圀が老人で、助三郎と格之進が若者という構図だ。
一方、『水戸黄門』以外で徳川・松平家の武士が忍びで活躍する話を振り返ると『暴れん坊将軍』『長七郎江戸日記』『将軍家光忍び旅』『松平右近事件帳』などがあるが、いずれも主人公の徳川・松平家の武士が若者で、お供の家臣が老人という構図で、『水戸黄門』とは逆の人物設定になっている。しかも『将軍家光忍び旅』は旅物だが、あとの『暴れん坊将軍』や『長七郎江戸日記』などは舞台が江戸に限定されている。
さらに『水戸黄門』では光圀・助・格・弥七たちの殺陣(たて)のあとに葵の紋が出て悪人たちが平伏するが、『暴れん坊将軍』や『長七郎』『家光』では若い主人公が相手を次々と倒す立ち回りがクライマックスであるせいか、まず主人公の正体を明かして葵の紋が出てから、敵が「こ奴は偽者だ」と言って抵抗、吉宗や長七郎や家光が剣を振るう…という、これまた『水戸黄門』と逆のパターンになっている。
これについては、劇中で前水戸藩主である光圀は訪問先の内政に干渉する権限がなく、各地の不正をそれぞれの現地の藩主に報告しているだけだったので、悪人たちは光圀がいる間だけ大人しくしていれば、処罰を免れる可能性があると思って抵抗をやめていた可能性がある。『暴れん坊将軍』の吉宗は行政のトップなので悪人たちがどうあがこうと処罰されることは決まっており、悪人たちは破れかぶれで抵抗していたと思われる。
『水戸黄門』で光圀の青年時代を描いて青年光圀が長七郎のように悪を斬る話が作られなかったのは不思議で、石坂浩二や里見浩太朗を起用するならその設定にすべきだった。
ナショナル劇場では『江戸を斬る』で保科正之の双子の弟である梓右近(演:竹脇無我)を主人公にした話が作られ、第2部以降では遠山金四郎を西郷輝彦が、次に第7部と第8部で里見浩太朗が演じている。これなら青年光圀が主人公の話があっていいはずだ。
史実の徳川光圀は1661年から1690年まで30年間、水戸藩主をつとめ、それから10年後に没している。
放送期間が40年あれば、光圀の隠居期間を10年で終えて、時間軸を40年戻し、藩主時代を30年かけて描いてもよかった。
結局、制作者が「光圀が老人」という設定にこだわりすぎたのが『水戸黄門』の自縄自縛であった。
◇目次――9
前後一覧
2011年11月
関連語句
将軍家光忍び旅 水戸黄門 暴れん坊将軍 保科正之
2001年に石坂浩二が佐野浅夫に続いて水戸老公役になったときは、『仕留人』の糸井貢などを演じた若い俳優のイメージがある石坂浩二が老人の役になって、個人的にショックを受けたものである。
春日太一氏によると2001年に石坂浩二が4代目光圀役となり、さらに『水戸黄門』の間のナショナル劇場のドラマが現代劇になったことで、ナショナル劇場の固定ファンが大量に離脱し、視聴率が10%前後に落ちたらしい。
重要なのは石坂浩二の起用だけでなく、合間のドラマが時代劇でなくなったことも視聴率低下の原因らしい点だ。
2001年の石坂浩二の『水戸黄門』の第29部、2002年の第30部は史実に近い水戸老公を目指したらしいが、石坂浩二が演じた水戸光圀(徳川光圀)は相変わらず全国行脚をしており、どこが史実に近づけたのか理解できない。
第29部では光圀にアゴヒゲがなかったのが史実に近づけたというのであれば、そのような外見上の試みは大した意味がない。些細な違いである。逆に從来のファンがそんな些細な違いで番組から離れたとしたら、それも真のファンとは言えないだろう。
『水戸黄門』のファンが「ヒゲがない」ことや「石坂浩二の外見が若い」といった表面的な些細な違いだけで、この2シリーズを『水戸黄門』と認めなかったのだとすれば、それは見た目だけにとらわれた低次元な理由だし、第30部でヒゲが復活したことで視聴率が回復したかどうか疑わしい。
一方、1995年には由美かおる扮するかげろうお銀を主人公にした『水戸黄門外伝 かげろう忍法帖』が作られている。これはお銀、飛猿たちが忍者軍団を連れて、光圀(演:佐野浅夫)の代理で世直し旅をする話であった。
これは荒唐無稽さでは『水戸黄門』本編を上回っているが、個人的には評価できる。なぜなら『水戸黄門外伝』は光圀が関東(水戸)に留まっていた点で、史実に近いからである。
由美かおるの演じたくノ一が「お銀」だったのは2000年の第28部までで、
2001年以降は「疾風のお娟(はやてのおえん)」になっている。
『水戸黄門』の第43部は東海道の旅であった。
個人的には一度でいいから『水戸黄門』で関東地方限定のシリーズを観たかったところである。
水戸光圀の旅を勿来と熱海の間の関東地方に限定し、水戸、西山荘、霞ヶ浦、筑波山、日光、銚子、鎌倉、江戸を舞台に水戸老公が活躍する話で、これなら弥七や八兵衛といった架空のキャラクターがいても文句はない。
里見浩太朗は西村晃の次に水戸老公役を要請されて、まだ年寄りの役はやりたくないと断った経緯がある。
『水戸黄門』は光圀が老人で、助三郎と格之進が若者という構図だ。
一方、『水戸黄門』以外で徳川・松平家の武士が忍びで活躍する話を振り返ると『暴れん坊将軍』『長七郎江戸日記』『将軍家光忍び旅』『松平右近事件帳』などがあるが、いずれも主人公の徳川・松平家の武士が若者で、お供の家臣が老人という構図で、『水戸黄門』とは逆の人物設定になっている。しかも『将軍家光忍び旅』は旅物だが、あとの『暴れん坊将軍』や『長七郎江戸日記』などは舞台が江戸に限定されている。
さらに『水戸黄門』では光圀・助・格・弥七たちの殺陣(たて)のあとに葵の紋が出て悪人たちが平伏するが、『暴れん坊将軍』や『長七郎』『家光』では若い主人公が相手を次々と倒す立ち回りがクライマックスであるせいか、まず主人公の正体を明かして葵の紋が出てから、敵が「こ奴は偽者だ」と言って抵抗、吉宗や長七郎や家光が剣を振るう…という、これまた『水戸黄門』と逆のパターンになっている。
これについては、劇中で前水戸藩主である光圀は訪問先の内政に干渉する権限がなく、各地の不正をそれぞれの現地の藩主に報告しているだけだったので、悪人たちは光圀がいる間だけ大人しくしていれば、処罰を免れる可能性があると思って抵抗をやめていた可能性がある。『暴れん坊将軍』の吉宗は行政のトップなので悪人たちがどうあがこうと処罰されることは決まっており、悪人たちは破れかぶれで抵抗していたと思われる。
『水戸黄門』で光圀の青年時代を描いて青年光圀が長七郎のように悪を斬る話が作られなかったのは不思議で、石坂浩二や里見浩太朗を起用するならその設定にすべきだった。
ナショナル劇場では『江戸を斬る』で保科正之の双子の弟である梓右近(演:竹脇無我)を主人公にした話が作られ、第2部以降では遠山金四郎を西郷輝彦が、次に第7部と第8部で里見浩太朗が演じている。これなら青年光圀が主人公の話があっていいはずだ。
史実の徳川光圀は1661年から1690年まで30年間、水戸藩主をつとめ、それから10年後に没している。
放送期間が40年あれば、光圀の隠居期間を10年で終えて、時間軸を40年戻し、藩主時代を30年かけて描いてもよかった。
結局、制作者が「光圀が老人」という設定にこだわりすぎたのが『水戸黄門』の自縄自縛であった。
◇目次――9
前後一覧
2011年11月
関連語句
将軍家光忍び旅 水戸黄門 暴れん坊将軍 保科正之