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『大奥 第一章』で家康が名古屋辯でしゃべっていた

時代劇のかなづかい、ことばづかい 壱 #知恵ノート_
11:20 a.m. Sat, Sep 29:Twitterで表示された日時

@kyojitsurekishi 「大奥第一章」のDVDをレンタルして視聴。藤田まこと扮する大御所徳川家康が尾張の名古屋辯らしき方言の台詞を話していたがこれは三河辯という設定か?江与役の高島礼子も徳川秀忠役の渡辺いっけいも春日局役の松下由樹も「時代劇の中の標準語」を話していた。
10:08 p.m. Fri, Sep 5:Twitterで表示された日時

信長に「名古屋ことば」を 河村市長、NHKに要望(朝日新聞デジタル) - Y!ニュース
3:42 p.m. Thu, Sep 25:Twitterで表示された日時

「大奥 第一章」では、三河武士だったはずの徳川家康が名古屋辯(尾張辯)でしゃべっていた。 このドラマで家康を演じた藤田まことは東京出身で京都育ちだったらしい。
0:54 - 2014年9月26日:PCの時計の日時

「大奥 第一章」で藤田まこと扮する家康は三河の隣国・尾張の名古屋辯で話していた。一方、劇中の秀忠と春日局と江の台詞は時代劇で普通の江戸大奥ことばで、東海~近畿の訛りらしきものはほとんどなかった。
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「大奥 第一章」と「水戸黄門」第43部第11話を見る限り、時代劇の脚本家は「三河の人」の台詞を名古屋辯にするようだ。「三河は愛知県だから名古屋辯でいいだろう」という単純な考えか?
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徳川家康の経歴を調べると、幼少期に人質にされたりして、三河と尾張(愛知)と駿府(静岡)の間を移動していたようである。すると家康が三河武士でありながら尾張の名古屋辯を使っていたとしてもおかしくないか?
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徳川家康が使っていた個人方言は三河・尾張・駿府の3方言が混ざった混成言語だったのか?もし時代劇で家康が三河辯か尾張辯か駿府辯を話したとしても、今度は東海方言を話すのが家康だけだとまた不自然になる。
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「大奥 第一章」では藤田まこと(東京出身、関西育ち)扮する徳川家康が尾張の名古屋辯で話していた。ところがDVDで一部の話を見た限りでは渡辺いっけい扮する徳川秀忠の台詞は静岡辯になっていなかった。秀忠は遠江国浜松(今の静岡県)出身らしい。
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渡辺いっけいは愛知出身らしいから尾張辯か三河辯は彼の方が得意だろう。名古屋市長が「信長に名古屋ことばをしゃべらせろ」と主張するなら、徳川秀忠は浜松辯を話すべきだろう。静岡の浜松市長がNHKにそんな要求をした話は聞かない(2014年10月6日現在)。
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もし時代劇で家康が愛知の三河辯で話す必要があるなら、秀忠は静岡の浜松方言で話さねばならなくなる。また江戸で生まれた家光も上方や東海の方言を話す武将や侍女にかこまれて育ったはず。「大奥第一章」のように家康だけ中京方言話者というのは非現実的だ。
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関連語句
三河
三河(twilog)
信長 名古屋 方言 信長 名古屋辯 信長 名古屋弁(twitter)

参照
Y!Blog>徳川家康が話していた方言は三河辯か名古屋辯(尾張辯)か
『水戸黄門』で知立の人が名古屋辯を話していた件について
淀から江へのてがみ
名古屋市長がNHKに要請“大河で名古屋辯、三河辯を使ってほしい”
大河ドラマで秀吉は名古屋辯を話すべきか
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