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『水戸黄門』は守るべき文化かどうか

もし『水戸黄門』が日本の文化として継承すべき物であれば、それは月形龍之介以前から続く『水戸黄門漫遊記』の世界であり、江戸時代後期から200年ほど、明治時代末の映画から1世紀ほど続いている作品全体の話である。

2011年に終了したのは連続ドラマとしての『水戸黄門』であり、TBSで放送し、パナソニックドラマシアターの枠で放送されていたシリーズの終了である。
パナソニックドラマシアターの『水戸黄門』は視聴率が低下すれば打ち切りになるのも当たり前で、恒久的に続けるべき物ではない。

毎週、月曜夜に放送され、50分ほどの番組で、1話完結であって前後編がなく、似たような話の繰り返しである『水戸黄門』はあくまでTBSのナショナル劇場としてできあがった定番であり、これが42年たって終了しただけの話だ。

少なくとも45分の印籠だの、女優のお風呂だの、光圀のアゴの白いヒゲだの、八兵衛の食いしん坊によるドジだのは、守るべき「文化」でも何でもない。多くの『水戸黄門』ファンはこれらの要素がないと『水戸黄門』でないと思いこんでいるようで、そこが問題である。

ただ、2011年における『水戸黄門』の終了が、単なる42年の『水戸黄門』の終了だけでなく、江戸時代から約200年続いた『水戸黄門漫遊記』そのものの終了であるという見方もできる。
その場合、『大岡越前』『遠山の金さん』といった講談をアレンジした時代劇の終了と合わせて考えると、江戸時代の将軍や藩主や奉行の実像を「ゆがめて」、英雄に仕立て上げてきた時代劇の終焉と見ることもできる。権力者の中から救世主が現れるのを大衆が待つだけという他力本願の国民性が、21世紀から10年経過した時代に終わりを告げているのかも知れない。

2011年は1867年の大政奉還から144年、つまり平成23年は明治144年である。
また、明治元年から143年経過している。

そうなると江戸時代から続く『水戸黄門』は守るべき文化どころか、旧時代の負の遺産、近代日本が克服すべき悪しき思想の象徴ということになる。
劇中の水戸光圀は本来、度重なる旅の果てに、「悪人だろうが善人だろうが、印籠の前に皆がひれ伏すような世の中が間違っている」という考えに至るべきであった。

本来、光圀は西山荘で静かにしているのがベストなのである。
しかし番組では光圀が西山荘に留まっているのを「悪いこと」にして、旅を「当然」としたままである。その前提のままでシリーズが終わるとすれば、スタッフはシリーズの終了から何も学んでいないことになる。

呆れるのは水戸市関係者が『水戸黄門』の終了を想定していなかったことと、今のTBSのパナソニックドラマシアターでの継続を前提にして、自ら他のスポンサーを探すことを考えていなかったことだ。
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