gooブログ ものがたりの歴史 虚実歴史

『水戸黄門』を史実に近づけた場合、どうすべきだったか

史実の徳川光圀は熱海[atami]と勿来[nakoso]の間を移動しただけで、訪問先のほとんどは関東であった。

2001年に石坂浩二が佐野浅夫に続いて水戸老公役になったときは、『仕留人』の糸井貢などを演じた若い俳優のイメージがある石坂浩二が老人の役になって、個人的にショックを受けたものである。
春日太一氏によると2001年に石坂浩二が4代目光圀役となり、さらに『水戸黄門』の間のナショナル劇場のドラマが現代劇になったことで、ナショナル劇場の固定ファンが大量に離脱し、視聴率が10%前後に落ちたらしい。
重要なのは石坂浩二の起用だけでなく、合間のドラマが時代劇でなくなったことも視聴率低下の原因らしい点だ。

2001年の石坂浩二の『水戸黄門』の第29部、2002年の第30部は史実に近い水戸老公を目指したらしいが、石坂浩二が演じた水戸光圀(徳川光圀)は相変わらず全国行脚をしており、どこが史実に近づけたのか理解できない。
第29部では光圀にアゴヒゲがなかったのが史実に近づけたというのであれば、そのような外見上の試みは大した意味がない。些細な違いである。逆に從来のファンがそんな些細な違いで番組から離れたとしたら、それも真のファンとは言えないだろう。
『水戸黄門』のファンが「ヒゲがない」ことや「石坂浩二の外見が若い」といった表面的な些細な違いだけで、この2シリーズを『水戸黄門』と認めなかったのだとすれば、それは見た目だけにとらわれた低次元な理由だし、第30部でヒゲが復活したことで視聴率が回復したかどうか疑わしい。

一方、1995年には由美かおる扮するかげろうお銀を主人公にした『水戸黄門外伝 かげろう忍法帖』が作られている。これはお銀、飛猿たちが忍者軍団を連れて、光圀(演:佐野浅夫)の代理で世直し旅をする話であった。
これは荒唐無稽さでは『水戸黄門』本編を上回っているが、個人的には評価できる。なぜなら『水戸黄門外伝』は光圀が関東(水戸)に留まっていた点で、史実に近いからである。

由美かおるの演じたくノ一が「お銀」だったのは2000年の第28部までで、
2001年以降は「疾風のお娟(はやてのおえん)」になっている。

『水戸黄門』の第43部は東海道の旅であった。
個人的には一度でいいから『水戸黄門』で関東地方限定のシリーズを観たかったところである。
水戸光圀の旅を勿来と熱海の間の関東地方に限定し、水戸、西山荘、霞ヶ浦、筑波山、日光、銚子、鎌倉、江戸を舞台に水戸老公が活躍する話で、これなら弥七や八兵衛といった架空のキャラクターがいても文句はない。

里見浩太朗は西村晃の次に水戸老公役を要請されて、まだ年寄りの役はやりたくないと断った経緯がある。
『水戸黄門』は光圀が老人で、助三郎と格之進が若者という構図だ。
一方、『水戸黄門』以外で徳川・松平家の武士が忍びで活躍する話を振り返ると『暴れん坊将軍』『長七郎江戸日記』『将軍家光忍び旅』『松平右近事件帳』などがあるが、いずれも主人公の徳川・松平家の武士が若者で、お供の家臣が老人という構図で、『水戸黄門』とは逆の人物設定になっている。しかも『将軍家光忍び旅』は旅物だが、あとの『暴れん坊将軍』や『長七郎江戸日記』などは舞台が江戸に限定されている。

さらに『水戸黄門』では光圀・助・格・弥七たちの殺陣(たて)のあとに葵の紋が出て悪人たちが平伏するが、『暴れん坊将軍』や『長七郎』『家光』では若い主人公が相手を次々と倒す立ち回りがクライマックスであるせいか、まず主人公の正体を明かして葵の紋が出てから、敵が「こ奴は偽者だ」と言って抵抗、吉宗や長七郎や家光が剣を振るう…という、これまた『水戸黄門』と逆のパターンになっている。

これについては、劇中で前水戸藩主である光圀は訪問先の内政に干渉する権限がなく、各地の不正をそれぞれの現地の藩主に報告しているだけだったので、悪人たちは光圀がいる間だけ大人しくしていれば、処罰を免れる可能性があると思って抵抗をやめていた可能性がある。『暴れん坊将軍』の吉宗は行政のトップなので悪人たちがどうあがこうと処罰されることは決まっており、悪人たちは破れかぶれで抵抗していたと思われる。

『水戸黄門』で光圀の青年時代を描いて青年光圀が長七郎のように悪を斬る話が作られなかったのは不思議で、石坂浩二や里見浩太朗を起用するならその設定にすべきだった。
ナショナル劇場では『江戸を斬る』で保科正之の双子の弟である梓右近(演:竹脇無我)を主人公にした話が作られ、第2部以降では遠山金四郎を西郷輝彦が、次に第7部と第8部で里見浩太朗が演じている。これなら青年光圀が主人公の話があっていいはずだ。

史実の徳川光圀は1661年から1690年まで30年間、水戸藩主をつとめ、それから10年後に没している。
放送期間が40年あれば、光圀の隠居期間を10年で終えて、時間軸を40年戻し、藩主時代を30年かけて描いてもよかった。
結局、制作者が「光圀が老人」という設定にこだわりすぎたのが『水戸黄門』の自縄自縛であった。

◇目次――9

前後一覧
2011年11月

関連語句
将軍家光忍び旅 水戸黄門 暴れん坊将軍 保科正之
名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「延宝~貞享~元禄~宝永~正徳、綱吉前後」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事