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家宣の側室・月光院、享保以降【人物】

AUTHOR: kyojitsurekishi TITLE: 家宣の側室・月光院、享保以降【人物】 DATE: 05/19/2019 20:58:00 PRIMARY CATEGORY: 享保~寛政の改革、エカテリーナIIとアントワネット STATUS: Publish ALLOW COMMENTS: 1 ALLOW PINGS: 1 CONVERT BREAKS: 1 CF50_USERNAME:navy.ap.teacup.com/monogatarekishi/ ----- BODY: Y!Blog

劇中、吉宗は独身だが、実際は1711年に家重が生まれており、吉宗が将軍になった時、家重は数え年6歳だったはず。家継は当時数え年8歳で家重より2歳年上だった。
 
赤穂の側も吉良の側も女が「敵」の屋敷にスパイとして潜入していたか。吉良の側から浅野内匠頭の妻・瑤泉院の屋敷に忍び込んでいた女はすぐにばれた。気の毒である。
 
家宣の側室・月光院は1685年生まれ、1752年没。
徳川吉宗(1685~1751)より1歳年下だったが、吉宗没の翌年に他界。
徳川吉宗は1684年生まれで1716年に数え年33歳で将軍になった。300年ずらすと1984年生まれの蒼国来と日馬富士が2017年の誕生日で33歳。
1717年に大岡越前守忠相(1677~1751)が町奉行になった。忠相は当時40歳。300年ずらすと、1977年生まれの香取慎吾は今年の誕生日で40歳。なお、東山紀之は1966年生まれで、現時点で50歳。忠相が満50歳になったのは1727年。
元禄~正徳生まれ、月光院は若かった。家継や家重は子供だった。
 
吉宗の時代から見れば島原の乱~由比正雪の乱は今の人にとっての盧溝橋事件~「終戦」直後くらいの過去だったか。吉宗の時代において1世紀以上前の関ヶ原~大坂夏の陣は、今の我々にとって日清・日露~第1次大戦くらいの過去。吉宗の時代において川中島の戦いは、今の我々にとっての幕末明治維新のような過去。
 
『八百屋お七異聞』でお七の親が由比正雪の乱の話をしていた。
お七の時代は1680年代、正雪の乱は1651年。
300年ずらすと1980年代当時の高校生に対し、親が1945年の「終戦」について語るようなものだ。
月光院は元禄赤穂事件の時、17歳くらい。1985年生まれの上戸彩、綾瀬はるか、相武紗季、宮崎あおいが2001年の9・11の時、16歳くらいだったことが目安になる。
なお、武井咲(~えみ)は1993年生まれで、17歳になったのは2010年である。
生まれは今の平成生まれに近かっただろう。
 
浅野内匠頭、大石内蔵助らの業(ごふ)が家継の代にふりかかったか。それとも徳川綱吉が浅野と大石らを切腹させたことに対する浅野と大石の亡霊からの逆恨みか。
胃の部の子は幼くして次々と倒れ、吉宗が将軍になった。
 
家宣の側室・月光院は1685年生まれ、1752年没。
徳川吉宗(1685~1751)より1歳年下だったが、吉宗没の翌年に他界。
 
「水戸黄門」に登場した5代将軍・綱吉の次の将軍候補が甲府宰相・綱豊、のちの6代将軍・家宣だった。
家宣の子・家継は7代将軍になったものの、幼くして病死。時代は8代将軍・吉宗の治世に移る。
 
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