星月夜に逢えたら

[hoshizukiyo ni aetara] 古都散策や仏像、文楽、DEAN FUJIOKAさんのことなどを・・・。 

第22回 ふそう文化大学 第3回目片岡愛之助(3)

2010-08-04 | AINOSUKEさん

書き忘れていました。
扶桑文化会館ですが、小さいながら本花道も設営できるし、座席の配置
は2階席まであり、左列・右列などもある劇場です。
おそらく地元の熱心な方々がほとんどだと思いますが、この日も2階席
の隅々まで観客がギッシリでした。




この後、スライド写真を見ながらコメントを。
(ここからマイメモは図入りに。笑。しか~し、文字が判読しづらいし、
だんだん記憶もアヤシクなってきた・・・。)

●生い立ちからドラマ出演まで
写真は「船のスクリュー」「お母さんとベランダで」(『歌舞伎修行』に
掲載の写真)「朝ドラの共演者たちと」「ご両親といっしょの写真」
だったと思います。

一般家庭で生まれた愛之助さんが塾代わりに松竹芸能に通うようになったと
いうお話。ファンなら写真を見ただけでスラスラ言えそうですが、初出演ド
ラマ『ほしがりません勝つまでは』(藤山直美さん主演)のこの写真は私に
は未見。着物にストライプのマフラーを合わせ、顔はちょっとハーフっぽく
別人に見えました(笑)。

●歌舞伎の子役の頃(千代丸ちゃん、可愛い~♪)
写真は「関西・歌舞伎を育てる会の第2回公演」「御浜御殿綱豊卿」
「木村長門守」(←『歌舞伎修行』に掲載のものとは違う写真)
もう1枚あったと思いますが、メモ解読不能・・・。

関西・歌舞伎を育てる会の舞台では『与話情浮名横櫛』に出演。多左衛門役
の仁左衛門さんといっしょに丁稚役で出演中の写真です。ちなみに、このと
き与三郎は團十郎さん、おとみは澤村藤十郎さんだったそうです。

『御浜御殿綱豊卿』では一文のご報謝を~と綱豊にねだる巡礼の子役。当時
の孝夫さんに手を差し出し、小首を傾げた写真がほんとに可愛い♪
「ええ一文も持たぬ旅の衆か。よくそれで道中がなるものじゃ」と実演も♪
「子供の時に覚えた台詞は全然忘れませんね、いまは覚えたらすぐに抜けて
いきますけど」と愛之助さん。

『木村長門守』の舞台では十三代目さんの隣りにすわった千代丸くんが♪
部屋子になった頃のお話。
名前を継ぐこと、についての話もここで出ました。
養子のお話のとき、こういうトークではめずらしく、亡くなられたご両親の
ことに触れ「いまの舞台を見せてあげたかったなあと思いますね、ぅぅん」
と一瞬ですが、神妙な表情を見せた愛之助さんでした。

●愛之助襲名の頃
「勧進帳の四天王」のスナップ写真、舞台写真

名題昇進の試験について。
「筆記試験って学校のテストみたいなもんですよ。(例題を幾つかあげて)
何が難しいかって、漢字がむずかしいんですよー!」
実技試験のほうは大成駒屋さん(歌右衛門さん)や、十七世勘三郎さんら
の前で演じたらしく大変緊張したそうです。
愛之助さんは見事一回で合格! でも長い年月かかる人もあるのだとか。

●歌舞伎の歴史について
司会の稲葉さんのナビにより、出雲の阿国の話から始まる歌舞伎の歴史につ
いて説明。なかにはこんなわかりやすい例えも♪
「若衆歌舞伎はいまでいうジャニーズですね。女性ばっかりの歌舞伎は・・・
宝塚ですね」。ただこの2つは風紀上いろいろとよくない問題が出てきたと
かで、野郎歌舞伎が残り、いまの歌舞伎につながっていったとか。
はじめから女っぽい所作ではなかったそうで、「女装趣味のオッサンみたい
なもんです」と、太い声で実演も。やがてより女らしくしたほうがいいとい
うことになり、女形が確立していくそう。

●現在の愛之助さん
写真は「寺子屋の松王丸」「義賢最期」「弁天小僧」「綱豊卿」など。

(弁天小僧は舞台写真の販売がなかったので見られてうれしかったです。)
「僕、この歳で日本駄右衛門ってオッサンばっかりしか演ったことなくて」
一回はやってみたかったのが弁天小僧。
中座で昔、この演目がかかった時に、急病の勘三郎さんに代わって弁天小僧
をつとめた橋之助さんに、十三代目さんがこうおっしゃったそう。
「こうちゃんはいいねえ。うちには弁天小僧をやる役者がいないからね」。
永楽館で『弁天小僧~』を演ることになった時、橋之助さんに「十三代目
さんのお墓参りに行って報告してきなさい」と言われたそうです。

「綱豊卿」は新歌舞伎で、いわゆる音がない台詞劇。(ここで台詞の覚え方
の話になったんだと思います。)
愛之助さん、街を歩きながら、気がついたら台詞を言っている時があるそう。
「相当あやしい人ですよね」。
また、エレベーターでも大声で稽古をしているときがあるとか。「恥ずかし
いのは途中の階で止まってドアが開いたときですよね。」場内爆笑!!
(そんなシチュエーションに遭遇してみたい♪)

●女形の愛之助さん
写真は「○○の少将」(←毎回どよめきがあるくらいとても素敵なこの写真、
私は3回目なんですが名前がちゃんと覚えられません。『歌舞伎修行』の本
の151ページにある写真のカラーバージョン)。
それと、源氏物語の「夕顔」。

少将の写真は「衣装が重いんです」。また、帯の前の部分にベロを固定する
ために板が入っていて、帯がゆるすぎてもきつすぎても痛いのだとか。
(こんな優雅な顔と姿をしているのに大変なんですね。)
ここで稲葉さんが「ずいぶん撫で肩なんですねえ」と言うと、「そう見える
ように女形ではいろいろ工夫をするんですね。肩甲骨をつけて、こうやって
肩を落としたり」(←実演中♪♪♪)
「体を正面に向けないで斜めに立つとか・・・」。
このあと女形の歩き方をするために紙をはさんで歩く稽古の実演をしてくだ
さる愛之助さん。

源氏物語の夕顔は、相手が新之介さん(海老蔵さん)。別の舞台稽古の最中
にこの台本が届いたそうで、「できたてのホタホヤって言いますが、ほんま
にぬくいんですよ~!」見たら分厚くて、でも自分の台詞はほとんどなく、
「ト書きで、胸に手を入れられ悶える、とかそんなんばっかりなんですよ!」。
場内大ウケ。(何度聞いてもこのくだりは面白いです~♪)

●江戸歌舞伎・上方歌舞伎の愛之助さん
写真は「鳴神」「与三郎」「忠兵衛」「与兵衛」「団七」「すし屋の権太」

写真を見ながらそれぞれの役についてわかりやすく説明する愛之助さん。
鳴神の顔を見ながら「隈取りって、あれは何を描いてると思いますか?
血管なんですよ♪ 」と赤・青・茶の隈の意味について説明。
髪型は「ボンバーヘッドですね!」鳴神の髪は百日といい、松王丸のは五十日
というそうです。

それから、江戸歌舞伎と上方歌舞伎の違いについてイロイロ説明。
権太は関西ではどうしようもない悪ガキという意味の「ゴンタ」の語源にも
なっているほどで上方のお芝居なのですが、ほとんどが江戸弁の権太。
なぜ江戸弁なのか?と聞かれたある人が「それは鮓屋だから江戸に修行に出
たんだよ」と仰ったとか。
江戸では粋でかっこいいけれど、上方の権太は庶民的で、その台詞を東京の
人が聞くと「えらいガラの悪い」となるそうです。
そこで江戸と上方の権太を比較実演♪
江戸弁でさらりとしゃべった後、これを上方でやると「おうおう、何さらし
てけつかるんじゃい!」(もっと長かったかも? 違ってたかも?)
江戸弁ではいい人、上方ではガラの悪い人になってしまうというお話。
(関西人の私には、関西弁の権太を一度見てしまうと、江戸っ子の権太のほ
うが不自然なんですけどね。)

●平成若衆歌舞伎の頃の愛之助さん 外部公演の愛之助さん
写真は「第一回 新八犬伝のポスター」
「新・油地獄 大坂純情伝の舞台写真」
「花競かぶき絵巻 霧矢大夢さんとのツーショット舞台写真」
「赤い城 黒い砂 ジンク」

霧矢さんとの舞台は、歌舞伎役者と宝塚スターのコラボ自体が史上初ですご
く話題になったとのこと。(私は当時、全然知りませんでした~~~。)
「その霧矢さん、今年はとうとうトップになられましたね」と、愛之助さん
もうれしそうでした。

僕はいまでも堺に住んでますが、上方歌舞伎塾の卒熟生たちと作ったお芝居
をやったのがこの平成若衆歌舞伎でした、と説明。
新・油地獄ではウエストサイドストーリー風に仕立てて、ジャジャン!と
みんなで振り返ったら大爆笑で「全員へこみました」。

シェイクスピアが若い頃に描いたお芝居にも挑戦した愛之助さん。
これはあて書きだったので、僕はこんな人間に見えてるんでしょうか?と
脚本家に聞くと「これはお芝居だから」と言われたそう。獅童さんの方は
「俺はバカだから」という台詞がたくさんあり、これもあて書き?と落ち
込んでいたというお話。

●上方舞の家元としての愛之助さん
写真は「楳茂都の舞台写真」

襲名披露公演で「地唄 荒れ鼠」を皆さんと舞われたときの写真。
ここから楳茂都扇性さんとしてのお話。舞と踊りについての違いなど。
「同じ上方舞でも楳茂都は表情がひじょうに豊かなんですね。僕が歌舞伎
役者だから、そういう踊り方をしていると思われるようなんですが、元々
そうなんです。たとえば、ほかでは泣くときにこんな感じ(手を顔の前で
上下に動かす)なんですが、楳茂都ではより歌舞伎に近くて、お芝居的なん
です。僕がなぜ楳茂都の(家元の)お話をお引き受けしたかという理由の
ひとつがそこなんです」。
楳茂都の三人連獅子って面白いんですよ、と話す愛之助さん。
歌舞伎の3人の連獅子では親一人、子が二人ですが、楳茂都ではお父さん
獅子とお母さん獅子に仔獅子の3人の構成だそう。

●9月の愛之助さん
写真は「前田慶次」♪♪♪

「蝉しぐれ」に続く歌舞伎以外の舞台「花の武将 前田慶次」について、
原作やコミックとも少し違うオリジナルストーリーのようです。
前田慶次がいかに魅力ある人物かについて説明してくださいました。
愛之助さん自身、舞台が決まってからパチンコにも行ったそうです。


<最後に客席からの質問>
「舞台をみるときは初日・中日・千穐楽、いつ見に行くのがいいですか?」
「いい質問ですねえ!」と愛之助さん。
結論的にはできればこの3回とも、場所を変えて見てください、とのこと。
初日は全力でやっているけれどもすごく緊張していて失敗もある、少し慣れ
てきたら息が合うようになってくる、千穐楽はやはり盛り上がるし、中には
わざとハプニングを起こす人もある。
「3階から見ると舞台の仕掛けが見えたりして、それも面白いと思います」。
3回、場所を変えて観る、とのことでした。

こんなメッセージも!
「テレビで歌舞伎を見ても、それは歌舞伎を見たことにはならないと僕は思
います。それはたまたま見ただけだと思うので。特に途中から見ると本当に
面白くないですから。それで歌舞伎はつまらないと思われるのは残念ですね。
まず一度ナマで見てください。そうすると、こんなにわかりやすかったのか、
となると思いますから。それでやっぱりつまらない、と思われたら仕方ない
ですけど」。

前後しますが、こんなことも言われてました。
「わかりにくいと思ったら、芝居のときには義太夫の言葉をよく聞いてみて
ください。踊りのときには歌詞をよく聞いてください。いわば解説付きで見
ているのと同じなんですから。必ず言葉と関係あることをやってますから」。


今回も笑わせていただきながら、歌舞伎の楽しみ方もよくわかる。
そんな講演でした。
1時間半以上ずっと愛之助さんのお顔を見ながら過ごせたことが、もちろん
私には一番の幸せでございました♪
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11 コメント

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中味が濃い講演でしたね (とみた)
2010-08-04 12:28:23
ムンパリさん、こんにちは。
遠くまで行った甲斐ありましたね。
紙をはさんで歩く稽古の実演!すごいです。六月の鑑賞教室の解説で宗之助さんがおっしゃってましたが、実演はしてくれなかったですねえ。愛之助さんが出てきて実演してくれたらよかったのに。その後で鳴神上人を見るのも面白かったのにねえ。

7月の鑑賞教室の解説でも歌舞伎の歴史の話があって、若衆歌舞伎の説明では、かわいい男の子たちの絵を見ながら、隼人君が、「十六歳の僕よりも若い子たちということは、今のジャニーズジュニアみたいなもんですね」と言ってました(脚本ありと思いますが)。

橋之助さんの弁天小僧なんてあったんですね。本当に面白い話がたくさん聞けて、うらやましいです。
返信する
ありがとうございます~ (おばおば)
2010-08-04 20:55:50
これだけのボリュームと濃い内容!
ムンパリさん、お疲れ様です&ありがとうございますm(_ _)m

初日・中日・千穐楽、いつ見に行くのがいいのか、っていう質問、私も知りたいなと思っていたので大変ナイス!でございました。
3回場所を変えて観たいものですが、なかなかそういうわけにもいかないのがイタイですが(笑)

名題昇進試験の試験官…スゴイ!そりゃあ緊張しますよね!(^^;
アヤシイ人…私もエレベーターの鏡の前でバレエポーズとってみたり誰も居ない廊下でくるくる回りながら進んだりしちゃってます。(笑)
返信する
ありがとうございました (瑠衣)
2010-08-04 23:07:05
扶桑大学、他のチケット(文楽)と重なり行けませんでしたが、こんなに詳しくルポを入れて頂き嬉しいです。
化粧坂の少将(けわいざかのしょうしょう)の写真じゃないでしょうか?あのお写真綺麗ですよね。
いつだったか福助丈が「僕は愛ちゃんに女形でいて欲しかった」と仰ってました。梅川も綺麗でしたし、お里も本当に可愛かったですから、私はいまだに「もう一度女形を見たい!」と願ってます
返信する
とみたさま♪ (ムンパリ)
2010-08-05 01:56:02
> 紙をはさんで歩く稽古の実演!
そういえば、鳴神上人は解説のときには登場しないんでしたね。
私は愛之助さんの講演ではコレは2度目の遭遇です♪
今回は司会の方がとてもお上手で、愛之助さんがちょこちょこ実演する雰囲気にもっていってくださったのが大きいと思います。
歌舞伎や愛之助さんを知りすぎていては逆に難しいのかも?

橋之助さんの弁天小僧も代役でしたからね。
代役バナシってけっこうあるのかもしれないです。
返信する
おばおばさま♪ (ムンパリ)
2010-08-05 01:58:01
現地ではモッタイナイ精神から、愛之助さんから目を離さずに
メモをとるため、夜中にPC前で解読しようとして毎回意識不明に陥り、
こんな小分けになってしまいました~(苦笑)。

観劇3回って、遠征組にはなかなかできませんよねえ~。
特に歌舞伎の場合は昼の部と夜の部がありますし。
愛之助さんはもっぱら車の中で台詞の稽古をする人だと
思ってましたので、街やエレベーターの話は初耳でした。
世の中のアヤシイ人には、それなりの理由があるものなのですね(爆)。
返信する
瑠衣さま♪ (ムンパリ)
2010-08-05 02:01:29
きゃっ、ありがとうございます。
やはり化粧坂の少将なのですか~! 女性で少将といえば・・・と思いつつ確信が持てなかったものですから。

> 梅川も綺麗でしたし、お里も本当に可愛かったですから
ああ、羨ましいです。その当時ご覧になられて。
最近では弁天小僧でその片鱗が見えましたが。
そういえば何の話だったか、「松竹にリクエストしてください」と愛之助さん、おっしゃってましたよ。
梅川を愛之助さんで!とかいうリクエストを劇場のボックスに入れるのもいいかもしれないですね♪
返信する
感謝!お疲れさまでした! (ハヌル )
2010-08-05 12:09:59
ムンパリさま、長きにわたるレポありがとうございました!!
愛之助さんの足跡がかなり詳しく紹介されたようですね。
写真の数々もいつかどこかで見られるといいな。
ムンパリさんのレポから自分も一緒に聞いていたかのような
濃い印象を受けさせていただきました!
とても素敵な時間を過ごされたことでしょう♪

しかし、この炎天下で自転車で散策とはチャレンジャー!
それにしても譲り受けた愛一郎くんがうらやましい(笑)

それと、これまでご両親のことを口にするのも
殆どないように思うので、感慨深いですね。
他人ながら思います。
ホントに今の活躍、姿を見ていて欲しかったと。
返信する
私も (桜扇)
2010-08-06 00:06:17
両親に見てもらいたかった、の下りを読んでぐっと来ました。

常に前向きポジティブ人間の愛ちゃんでも、そこはやっぱりさすがに…ですね。

きっと大きな役をもらった時ほど、生きていて欲しかったと悔しがっておられるのでしょうね。

私も、本当に親が生きているうちに親孝行しないといけないよなぁ…と考えさせられました。

返信する
少し訂正 (桜扇)
2010-08-06 06:24:40
「見てもらいたかった」じゃなくて「見せてあげたかった」でしたね。
後者の方が優しさが滲み出ていますよね。
返信する
ハヌルさま♪ (ムンパリ)
2010-08-06 12:14:50
大阪での自転車のエピソードはちょっとビックリ。
ドンキホーテ以外にも行くところが?(笑)。
あ、そうそう。
愛一郎くんの話をする時、愛一郎の「愛」は愛之助の愛、
「一」は本名が「○一」だから一文字ずつとって命名
したとのことでした。愛二郎、愛三郎・・・になるのかも、
という予想は大ハズレでした!

ご両親の話題は今までのトークだと、意識的にか無意識にか
さらっと流すか、触れないでいたように記憶してるんですが、
今回は丁寧に説明してくださって、現在の気持ちまで話して
くださり、なんてゆうか、ごく自然体だったのがステキでした。
ご両親はいつも側で見守っておられるはず、と私は思います♪
笑っただけではなく、とても感じることの多い講演でした。
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