●金勝山金勝寺(こんしょうじ) 拝観料500円
馬頭観音堂の駐車場から下ってゆくと、きれいな参道が見えてきた。
上桐生を11時にスタートし、14時前に金勝寺に到着。
ここはあの歌舞伎の「良弁杉由来」に出てくる良弁僧正が、天平5年
(733年)に聖武天皇の勅願により建立したお寺。
のちには二十五別院を有する寺院となり、湖南地域の仏教文化の中心
として栄えたそうだ。
その後、弘仁6年(815年)、嵯峨天皇の勅願をうけ、興福寺の高僧の
願安が伽藍を整備。833年には国家の官寺である「金勝山金勝寺」に。
・木造軍荼利明王立像(重要文化財 平安時代 10世紀)
杉木立の緑の参道を進むと、仁王門では赤い仁王さんが迎えてくれる。
門をくぐって右に「二月堂」とあり、それだけで東大寺を思い起こさせた。
中に入るとすご~い!こんなに大きな軍荼利明王を見るのは初めて。
像高360.5cmだそう。通常は五大明王の一尊として置かれているが、こ
れは初めから独立して作られたものではないか、と書かれていた。
胸元で交差した二臂をふくめ手は8本。逆立つ頭髪に、唇を噛み、ぎょろ
りと大きな目で拝観者を見下ろし、迫力がある。写真がコチラに。
(目が合うのは正面ではなくやや右位置。なぜか? と同行者が気にして
いた。やはり五体で置かれ、はすかいに立っているため、まっすぐに置く
と正面を向くことができないのではないだろうか。もしもこの大きさの
五大明王が揃っていたらさぞかし壮観だったろうと思う。)
・木造釈迦如来坐像(重要文化財 平安時代 12世紀)
参道に戻って全体を見渡してみると、建物が古寺らしい薄茶色の色調
で、背景の緑になじんでいる。お寺そのものが自然の景観といっていい。
本堂にあがると、ご本尊の釈迦如来坐像が真ん中に。
定朝様式のおだやかなお顔で、全体に黒く、漆泊の金がところどころに
残っている。
・不動明王立像(室町時代)、良弁坐像、願安坐像(どちらも桃山時代)
向かって左に、不動明王さま。天地眼(右眼を見開き、左眼を半開き、
天と地を同時に見ている)で、記憶違いでなければ、手に持った道具が
左右逆と書かれていたような?? もとは山口寺に所蔵されていたもの。
向かって右には、良弁さんと願安さんの坐像が並んで安置されている。
二人の顔がとても似ていた。鼻筋が通って意志の強そうな口元が印象的。
本堂の机に白洲正子さんの著書が置かれていた。平成22年の白洲正子
生誕100年特別展のポスターも!(これ、行ってないのぉ~。TVの
日曜美術館で見ただけ。)
降水確率0%のはずなのに、まさかの霧雨。やはり山のお天気は侮れない。
そのうえ風もある。寒くなって、脱いでいたウインドブレーカーを着用。
・木造虚空蔵菩薩半跏像(重要文化財 平安時代 10世紀)
昭和に建てられた虚空蔵堂には、虚空蔵菩薩さまの半跏像が。薄暗くて
遠いのと、下が見えないのとで半跏の形はよくわからなかった。でも、
お顔や指の形がきれい。藤原手法の優れた古像、と書かれている。
・木造毘沙門天立像(重要文化財 平安時代 10世紀)
・木造地蔵菩薩像(重要文化財 平安時代 12世紀)
どちらも虚空蔵菩薩の脇侍。毘沙門天は下半身に安定感のあるお像。
地蔵菩薩さまの坐像はめずらしいように思う。上半身がふくよか。
●もう一つの「良弁杉」
良弁杉といえば、東大寺二月堂。歌舞伎の「良弁杉由来」は大鷲にさらわ
れた赤ん坊が杉の木にひっかかっており、それが良弁さんだったというお話。
(「良弁杉由来 二月堂」観劇メモはコチラ)
真偽のほどはともかく、実際、杉の木はある。
で、ナント金勝寺のすぐ近くにも、良弁僧正ゆかりの木があった!
「良弁僧正お手植えの大杉」という案内にしたがって進むと、あった~。
他の杉よりも明らかに太くて目立つ、背の高~い杉が。本当にお手植えなら
すごい歳ですよね~。
お寺の前から出るシャトルバスは1日に2本。最終までに時間がある
ので道の駅まで歩くことに。
(こんなことなら天狗岩や耳岩まで回ればよかった~。)
道の駅でイチジクのソフトクリームを買ってちょっと休憩。
ここからJR草津線手原駅まではシャトルバスで20分ぐらいだった。
神社や史跡を通りながら、いっそ駅まで歩いても楽しかったかな~と
ちょっと心残り。またいつか!