日本共産党のパンフレットから、100年の歴史の特徴を紹介します。
日本共産党は、どんなときでも国民との共同――統一戦線の力で政治を変えるという姿勢を貫いてきた政党です。
1960年代から70年代にかけて、日本共産党が連続的に躍進し、日本共産党を含む幅広い共同に支えられた革新自治体が広がり、一時期は日本の総人口の43%が革新自治体のもとで暮らすまでになりました。これに危機感を覚えた支配勢力は、1980年に「社公合意」という日本共産党を政界から排除するとりきめを結び、その存在を"ないもの"かのように扱う「日本共産党を除く壁」がつくられました。そのもとでも、党は、政党の組み合わせではなく、多くの無党派の方々との共同をつくる(革新懇運動)という統一戦線の新たな探究に粘り強くとりくみました。
90年代の後半に、日本共産党が再び大きく躍進し、「日本共産党を除く壁」が一部崩されると、支配勢力は大がかりな政界再編――「自民か、民主か――二大政党の政権選択論」の大キャンペーンにのりだしました。これは、日本共産党をはじめから「選択」の枠外においてしまうという、私たちにとってそれまでに経験したことのない逆風でしたが、こうした困難のもとでも、憲法9条擁護など一致する課題ごとに協力を広げる「一点共闘」を発展させ、共同の発展へ力を尽くしました。
2010年代中ごろの日本共産党の新たな躍進を力に、2015年以来、党は市民と野党の共同という新しいたたかいを開始しました。「日本共産党を除く壁」が大きく崩されるもとで、国政選挙で初めての全国規模の野党共闘にとりくみ、市民と野党の共闘で野党連合政権をつくるという新しい挑戦を行ってきました。
それだけに、いま私たちは、支配勢力による激しい妨害と攻撃に遭遇しています。たたかいの発展が支配勢力によって阻まれるたびに、自らの成長をはかり、新たな共同をつくって前に進んで行く――"変革の党"としての姿勢が、いまほど求められているときはありません。政治を変える国民共同のたたかいの前途は、統一戦線の推進力である日本共産党が、政治的にも組織的にも強く大きくなることにかかっています。
日本共産党は、どんなときでも国民との共同――統一戦線の力で政治を変えるという姿勢を貫いてきた政党です。
1960年代から70年代にかけて、日本共産党が連続的に躍進し、日本共産党を含む幅広い共同に支えられた革新自治体が広がり、一時期は日本の総人口の43%が革新自治体のもとで暮らすまでになりました。これに危機感を覚えた支配勢力は、1980年に「社公合意」という日本共産党を政界から排除するとりきめを結び、その存在を"ないもの"かのように扱う「日本共産党を除く壁」がつくられました。そのもとでも、党は、政党の組み合わせではなく、多くの無党派の方々との共同をつくる(革新懇運動)という統一戦線の新たな探究に粘り強くとりくみました。
90年代の後半に、日本共産党が再び大きく躍進し、「日本共産党を除く壁」が一部崩されると、支配勢力は大がかりな政界再編――「自民か、民主か――二大政党の政権選択論」の大キャンペーンにのりだしました。これは、日本共産党をはじめから「選択」の枠外においてしまうという、私たちにとってそれまでに経験したことのない逆風でしたが、こうした困難のもとでも、憲法9条擁護など一致する課題ごとに協力を広げる「一点共闘」を発展させ、共同の発展へ力を尽くしました。
2010年代中ごろの日本共産党の新たな躍進を力に、2015年以来、党は市民と野党の共同という新しいたたかいを開始しました。「日本共産党を除く壁」が大きく崩されるもとで、国政選挙で初めての全国規模の野党共闘にとりくみ、市民と野党の共闘で野党連合政権をつくるという新しい挑戦を行ってきました。
それだけに、いま私たちは、支配勢力による激しい妨害と攻撃に遭遇しています。たたかいの発展が支配勢力によって阻まれるたびに、自らの成長をはかり、新たな共同をつくって前に進んで行く――"変革の党"としての姿勢が、いまほど求められているときはありません。政治を変える国民共同のたたかいの前途は、統一戦線の推進力である日本共産党が、政治的にも組織的にも強く大きくなることにかかっています。